郡名や村名の由来となった神号、「神座石」を御神体とする古社
[住所]宮城県加美郡加美町谷地森根岸91
[電話]-
賀美石神社(かみいしじんじゃ)は、宮城県加美郡加美町谷地森根岸にある神社。加美石神社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「賀美石神社(陸奥国・賀美郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。社名が、賀美郡、現在の加美郡、旧賀美村・加美村、現在の加美町の由来となった神社。
町内最古の神社とされ、「神座石」を御神体とする。そのため、今石神社、石神社と呼ばれていたという。式内社名も、賀美の地の石神社の意か。
御祭神は速須佐男之命とされることもあるが、これは後述の八坂神社の御祭神で、大正期の合祀以降のもの。
宮城県神社庁の公式サイトでは、主祭神は猿田彦神。ただし、後述のように、当社と八坂神社がどちらか主なのかで、主祭神は変わるのかもしれない。
ただ、猿田彦神としたとしても、これも後世のことで、やはり石を祭祀対象としてきた神社、というのが正解だという。
別当は本山派修験の善寿院で、明治まで代々社務を司った。明治5年(1872年)4月、村社に列した。
もとは本郷石神囲に鎮座していたが、大正4年(9115年)、八坂神社・神明神社・八幡神社と合祀され、旧八坂神社の鎮座地だった現在地に遷座した。
御神体の神座石は、平成10年(1998年)に旧社地から現在地に移された。例祭は4月19日で、春季例大祭。
現在の本殿は、当社の旧地にあった本殿を移築したもので、 江戸時代中期の安永8年(1779年)の造営、拝殿は明治12年(1879年)の造営である。
なお、式内社「賀美石神社」の論社は他に、やはり巨石を祀る麓山の飯豊神社がある。
【ご利益】
厄災除け、交通安全、病魔退散

【関連記事】
・宮城県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、宮城県に鎮座している神社の一覧
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賀美石神社(かみいしじんじゃ)は、宮城県加美郡加美町谷地森根岸にある神社。加美石神社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「賀美石神社(陸奥国・賀美郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。社名が、賀美郡、現在の加美郡、旧賀美村・加美村、現在の加美町の由来となった神社。
町内最古の神社とされ、「神座石」を御神体とする。そのため、今石神社、石神社と呼ばれていたという。式内社名も、賀美の地の石神社の意か。
御祭神は速須佐男之命とされることもあるが、これは後述の八坂神社の御祭神で、大正期の合祀以降のもの。
宮城県神社庁の公式サイトでは、主祭神は猿田彦神。ただし、後述のように、当社と八坂神社がどちらか主なのかで、主祭神は変わるのかもしれない。
ただ、猿田彦神としたとしても、これも後世のことで、やはり石を祭祀対象としてきた神社、というのが正解だという。
別当は本山派修験の善寿院で、明治まで代々社務を司った。明治5年(1872年)4月、村社に列した。
もとは本郷石神囲に鎮座していたが、大正4年(9115年)、八坂神社・神明神社・八幡神社と合祀され、旧八坂神社の鎮座地だった現在地に遷座した。
御神体の神座石は、平成10年(1998年)に旧社地から現在地に移された。例祭は4月19日で、春季例大祭。
現在の本殿は、当社の旧地にあった本殿を移築したもので、 江戸時代中期の安永8年(1779年)の造営、拝殿は明治12年(1879年)の造営である。
なお、式内社「賀美石神社」の論社は他に、やはり巨石を祀る麓山の飯豊神社がある。
【ご利益】
厄災除け、交通安全、病魔退散

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