もとは垣田神社、八幡神を祀る貝田の式内社を合祀して改称
[住所]大阪府泉佐野市鶴原1834-2
[電話]072-462-1506
加支多神社(かしたじんじゃ)は、大阪府泉佐野市鶴原にある神社。加支多八幡神社とも呼ばれる。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創祀・創建年代は不詳。鎌倉時代末期の正応2年(1320年)書写の『和泉国神名帳』には「垣田神社」とある。
もとは市杵島神社と称し、市梓島姫命を祀ったとも。
南北朝時代、楠氏の臣である勝間某が、敗走する際、御神体を背負って当地に到来したという。
当地の新川氏の宅を訪ね、邸宅で奉仕させてもらえるよう願い出て、新川氏もその手続きを進め、奉仕されたという。
これは勝間家に伝わるもので、現在も勝間氏の子孫は当地に居住しているという。
明治5年(1872年)、村社に列し、明治42年(1909年)7月12日、貝田の村社加支多神社(品陀別命)を合祀、現社号に改称した。
この合祀した加支多神社が、『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 日根郡「加支多神社」に比定される式内社(小社、鍬靫)。
これと同時に同字の村社熊城八幡神社、無挌社熊城八幡神社、字鶴原の村社大宮八幡神社、字新家の同八幡神社、字浜田の同浜之神社、字布の無挌社八幡神社、字古屋敷の同曽我神社を合祀した。
なお、貝塚市の南近義神社も字貝田の村社加支多神社を合祀し、これが式内社ではないかとの説があるが、あまり有力ではない。
現在までに、御祭神は、誉田別命・市杵島姫命・天児屋根命。大正4年(1915年)4月、神饌幣帛料供進社に指定された。
例祭は10月9日。だんじりの宮入り、曳行が行われる。境内社に、塞の神・金神、戎社がある。境内には、神馬像が安置されている。
昭和57年(1982年)12月、当時の宮司が私財を擲って、弓道発展のため境内に弓道場を建設、これを契機に弓友会が結成されている。
【ご利益】
安産、開運招福、厄災除け
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加支多神社(かしたじんじゃ)は、大阪府泉佐野市鶴原にある神社。加支多八幡神社とも呼ばれる。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創祀・創建年代は不詳。鎌倉時代末期の正応2年(1320年)書写の『和泉国神名帳』には「垣田神社」とある。
もとは市杵島神社と称し、市梓島姫命を祀ったとも。
南北朝時代、楠氏の臣である勝間某が、敗走する際、御神体を背負って当地に到来したという。
当地の新川氏の宅を訪ね、邸宅で奉仕させてもらえるよう願い出て、新川氏もその手続きを進め、奉仕されたという。
これは勝間家に伝わるもので、現在も勝間氏の子孫は当地に居住しているという。
明治5年(1872年)、村社に列し、明治42年(1909年)7月12日、貝田の村社加支多神社(品陀別命)を合祀、現社号に改称した。
この合祀した加支多神社が、『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 日根郡「加支多神社」に比定される式内社(小社、鍬靫)。
これと同時に同字の村社熊城八幡神社、無挌社熊城八幡神社、字鶴原の村社大宮八幡神社、字新家の同八幡神社、字浜田の同浜之神社、字布の無挌社八幡神社、字古屋敷の同曽我神社を合祀した。
なお、貝塚市の南近義神社も字貝田の村社加支多神社を合祀し、これが式内社ではないかとの説があるが、あまり有力ではない。
現在までに、御祭神は、誉田別命・市杵島姫命・天児屋根命。大正4年(1915年)4月、神饌幣帛料供進社に指定された。
例祭は10月9日。だんじりの宮入り、曳行が行われる。境内社に、塞の神・金神、戎社がある。境内には、神馬像が安置されている。
昭和57年(1982年)12月、当時の宮司が私財を擲って、弓道発展のため境内に弓道場を建設、これを契機に弓友会が結成されている。
【ご利益】
安産、開運招福、厄災除け
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