古代氏族・民直(みたみのあたい)、中世以来の流鏑馬を復興
[住所]大阪府堺市南区鴨谷台1-49-1
[電話]072-297-1179
美多彌神社(みたみじんじゃ)は、大阪府堺市南区鴨谷台にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 大鳥郡「美多弥神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀・創建年代は不詳。『新撰姓氏録』和泉国神別条に記載されている「民直(みたみのあたい)」に関連するとされる。
「天児屋根命の後裔とされ、民(みたみ)は美多彌(みたみ)と訓を正す」とある。主祭神は天児屋根命である。
飛鳥時代、民直小鮪(みたみのあたいおしび)が、壬申の乱(672年)の時、大海人皇子(後の天武天皇)側につき、河内から倭(大和)に来る敵を防いで連戦した。
民直大史という人物もみられる。どちらにしろ当社は、和泉国北部の和田郷(にぎたのさと)の郷氏神として崇められた。
また、平安時代末期には当地は河内国矢田部から移り来た大中臣助正がこの地の田畑の開発を進めた。
その子助綱の代になって河内国天野山金剛寺に寄進し、開発地「和田荘」の荘官の身分を得て、和田郷を子々孫々まで相伝した。いわゆる大中臣和田氏である。
この地が、長らく「和田」「和田谷」と表記され「みきた」と読まれた所以。明治になり、「美木多」の字が充てられるようになった。
鎌倉時代の永仁2年(1294年)、流鏑馬の行事が行なわれたという。当時、その神奈備は神聖で、立派な木々が多く繁っていたことから「王森」と呼ばれたという。
南北朝時代の後醍醐天皇の御代には3万坪にもわたる広大な境内を持ち、社頭輪奐を極めた。また、楠木正成の守護神とされたという。
戦国時代の天正5年(1577年)、織田信長の雑賀衆制圧の際に、近くの放光寺とともに焼かれた。
文禄元年(1592年)、楠木一族の和田道讃により再建された。
江戸時代には「牛頭天王社」と称され、得泉寺を神宮寺とし、神官と社僧が社務を行っていた。
明治の神仏分離の際に得泉寺が廃され、八坂神社に改称した。明治40年(1907年)、近隣の村社5社・無格社3社を合祀し、現社号に改称した。
そのため、現在までに、須佐之男命・菅原道真公・天之水分大神・厳島神・大国主大神・熊野大神・琴平大神・八幡大神を合わせ祀っている。
例祭は10月5日。10月第1日曜日には上北・檜尾・大森・中山の四地の勇壮なだんじりが曳行する。
1月中旬にとんど祭(左義長)がある。縁起の良い「厄除招福ぜんざい」が約500食振る舞われる。
元旦の歳旦祭では、午前零時に四斗樽を開ける神事が行われ、御神酒が振る舞われる。
平成26年3月29日、「流鏑馬まつり」が斎行された。中世以来の伝統だったが、近年になって廃れていたものを復興した。次回は平成30年(2018年)の予定。
本殿は明治時代に新しく建てられたもので、拝殿などは昭和47年(1972年)に改築されたもの。
境内の鎮守の森は8250平米あり、シリブカガシ(尻深樫)、アラカシ(粗樫)、サカキ(榊)、クス(樟)などの照葉樹が繁る。
特にシリブカガシは樹林を形成するのは稀であり、樹林の東限に近いことから、府の天然記念物に指定された。
またシブカガシの森として、「大阪みどりの百選」に選定されている。境内社に、琴平社、白天龍王(例祭は4月19日)がある。
【ご利益】
建物・祭祀の神、武運長久・勝運、厄災除け(公式HP)

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美多彌神社(みたみじんじゃ)は、大阪府堺市南区鴨谷台にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 大鳥郡「美多弥神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀・創建年代は不詳。『新撰姓氏録』和泉国神別条に記載されている「民直(みたみのあたい)」に関連するとされる。
「天児屋根命の後裔とされ、民(みたみ)は美多彌(みたみ)と訓を正す」とある。主祭神は天児屋根命である。
飛鳥時代、民直小鮪(みたみのあたいおしび)が、壬申の乱(672年)の時、大海人皇子(後の天武天皇)側につき、河内から倭(大和)に来る敵を防いで連戦した。
民直大史という人物もみられる。どちらにしろ当社は、和泉国北部の和田郷(にぎたのさと)の郷氏神として崇められた。
また、平安時代末期には当地は河内国矢田部から移り来た大中臣助正がこの地の田畑の開発を進めた。
その子助綱の代になって河内国天野山金剛寺に寄進し、開発地「和田荘」の荘官の身分を得て、和田郷を子々孫々まで相伝した。いわゆる大中臣和田氏である。
この地が、長らく「和田」「和田谷」と表記され「みきた」と読まれた所以。明治になり、「美木多」の字が充てられるようになった。
鎌倉時代の永仁2年(1294年)、流鏑馬の行事が行なわれたという。当時、その神奈備は神聖で、立派な木々が多く繁っていたことから「王森」と呼ばれたという。
南北朝時代の後醍醐天皇の御代には3万坪にもわたる広大な境内を持ち、社頭輪奐を極めた。また、楠木正成の守護神とされたという。
戦国時代の天正5年(1577年)、織田信長の雑賀衆制圧の際に、近くの放光寺とともに焼かれた。
文禄元年(1592年)、楠木一族の和田道讃により再建された。
江戸時代には「牛頭天王社」と称され、得泉寺を神宮寺とし、神官と社僧が社務を行っていた。
明治の神仏分離の際に得泉寺が廃され、八坂神社に改称した。明治40年(1907年)、近隣の村社5社・無格社3社を合祀し、現社号に改称した。
そのため、現在までに、須佐之男命・菅原道真公・天之水分大神・厳島神・大国主大神・熊野大神・琴平大神・八幡大神を合わせ祀っている。
例祭は10月5日。10月第1日曜日には上北・檜尾・大森・中山の四地の勇壮なだんじりが曳行する。
1月中旬にとんど祭(左義長)がある。縁起の良い「厄除招福ぜんざい」が約500食振る舞われる。
元旦の歳旦祭では、午前零時に四斗樽を開ける神事が行われ、御神酒が振る舞われる。
平成26年3月29日、「流鏑馬まつり」が斎行された。中世以来の伝統だったが、近年になって廃れていたものを復興した。次回は平成30年(2018年)の予定。
本殿は明治時代に新しく建てられたもので、拝殿などは昭和47年(1972年)に改築されたもの。
境内の鎮守の森は8250平米あり、シリブカガシ(尻深樫)、アラカシ(粗樫)、サカキ(榊)、クス(樟)などの照葉樹が繁る。
特にシリブカガシは樹林を形成するのは稀であり、樹林の東限に近いことから、府の天然記念物に指定された。
またシブカガシの森として、「大阪みどりの百選」に選定されている。境内社に、琴平社、白天龍王(例祭は4月19日)がある。
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建物・祭祀の神、武運長久・勝運、厄災除け(公式HP)

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