神武東遷の地、日下部首の祖神、室町期本殿や江戸初期神門
[住所]大阪府堺市西区草部262
[電話]072-271-2647

日部神社(くさべじんじゃ)は、大阪府堺市西区草部にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 大鳥郡「日部神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀・創建年代は不詳。『古事記伝』によれば、初代神武天皇が東遷の際に上陸し、長髄彦と最初の戦いをした「日下の蓼津」はこの一帯だという。

彦坐王・神武天皇・道臣命を主祭神とする。彦坐命は日下部首氏の祖神。日下部首氏はこの一帯を拠点としていた豪族で、一族には浦島太郎が出たという。

『古事記』には、第16代仁徳天皇の皇子と皇女に大日下王若日下部命の兄妹がいる。

兄の大日下王は、その妻の長田大郎女をものにしたかった第20代安康天皇に誅され、妹の若日下部命は、第21代雄略天皇の皇后となる。

もとは鶴田村大字草部字輪之内に鎮座したが、明治44年(1911年)に八坂神社(素盞鳴尊)・熊野神社(伊弉冉尊)・菅原神社(菅原道真)を合祀。

その際、旧八坂神社の現在地に遷座した。本殿や神門は、旧八坂神社のもの。本殿前の石燈籠に製作日の記録として「正平24年卯月8日」と彫られている。

そのため、本殿は南北朝時代の正平24年(1370年)の建造と考えられ、石燈籠含めて、国の重要文化財に指定されている。

神門は安土桃山時代の様式を受け継ぐ江戸時代前期の建立だという。棟の鬼瓦に「貞享元年」(1684)の箆書がある。市の有形文化財に指定されている。

例祭は10月5日。10月上旬の週末に、だんじりの宮入りが行われる。

当社の旧社地は現在地の南300メートルの所で、道臣命が埋葬されていると伝えられる御山古墳の側にある。

遷座後の旧社地は大正初年(1912年)に民間に買却され、現在は住宅地となっている。

なお、旧地の1キロほど東南東に等乃伎神社が鎮座しており、等乃伎神社・当社・金剛山頂は一直線に並び、冬至の日の出線になっているという。

岸和田市の楠本神社の旧社地、摩湯山古墳の長軸線、当社の旧社地、大仙陵古墳の長軸線とが直線上に並ぶともいう。

また、旧神宮寺の阿彌陀山行興寺が、当社の北側に境内・参道を隣接して現存している。

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日部神社 大阪府堺市西区草部
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