江戸初期には鎮座、足利領主戸田家の邸内、足利織物市の守護神
[住所]東京都千代田区神田小川町3-9
[電話]03-3291-3481

五十稲荷神社(ごとういなりじんじゃ)は、東京都千代田区神田小川町にある神社。栄寿稲荷神社とも。参拝すれば、書き置きではあるが、御朱印を頂ける。

創祀年代は不詳。江戸時代初期の慶長年間(1596年-1615年)には当地付近に鎮座していたという。その際は、徳川家の安産守護神として崇敬された。

江戸時代中期の正徳年間(1711年-1716年)、栃木県足利の戸田長門守が当地を拝領し、屋敷を構えることになった。

その際、当社地もその邸内に入り、戸田家で当地の鎮守として奉祀されることになった。

同時に、故郷の足利市雪輪町旧御陣屋大門に奉斎されていた稲荷大神も併せて祀られた。

この足利の稲荷は、現在の雪輪町稲荷神社として現存する。当社はこの後、栄寿稲荷大明神と称され、崇敬された。

戸田領足利で織物の市が五と十のつく日に開かれたため、江戸の戸田邸でもその繁栄を祈願するために、毎月の祭事を五と十のつく日に執り行った。

月々の祭日と二月の初午祭には門戸を開放し、諸人の参詣を許した。これらの由緒が、当社の社号の由来となっている。

明治になり、廃藩置県により大名屋敷が町屋となったが、当社の祭日も崇敬者などにより受け継がれた。

一年を通し、毎月五と十のつく日には多くの参詣があり、後には縁日が立ち、「五十様の縁日」と呼ばれ、東京市内でも有名となった。

俗称として「五十稲荷」が定着した。ただし、正式の社号は稲荷神社のみ。御祭神は倉稲魂命。例祭は4月15日。

明治5年(1872年)、神社として認められた。大正12年(1923年)の関東大震災までは現在地のすぐ横に約200坪の境内地があった。

関東大震災で全焼した後、東京市土地区画整理により、昭和3年(1928年)、現在の小川町3-1から小川町三の丸に移転、本社を再建、神域を整備した。

ただし、社地は大幅に縮小され、現在に至る。また、昭和20年(1945年)2月25日、空襲により全焼した。

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五十稲荷神社 東京都千代田区神田小川町
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五十稲荷神社 東京都千代田区神田小川町の御朱印