もとは武家屋敷邸内社、外階段から登ることのできるビルの2階
[住所]東京都千代田区神田小川町2-14-14
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幸徳稲荷神社(こうとくいなりじんじゃ)は、東京都千代田区神田小川町にある神社。御朱印の有無は不明。

もとは江戸時代、山城国淀藩の藩主稲葉家の江戸小石川中屋敷に祀られてあった邸内社だったという。

淀藩の稲葉家は、江戸時代中期の享保8年(1723年)5月1日から始まるので、それ以降の創建となるか。

ただし、『東京名所図会』には「元禄十四年奉納の石盥水盤あり」とされたから、創祀や創建は元禄年間(1688年-1704年)にさかのぼる可能性はある。

ちなみにこの稲葉家は、3代将軍徳川家光の乳母 春日の局の後裔だという。当社は当時、鍛冶屋稲荷と称し、代々五穀豊穣、武運長久が祈願されたという。

『東京名所図会』によれば、かつて辻村清平と称する刀剣鍛冶師がおり、名刀一口を奉納、その子孫もあったといい、鍛冶屋稲荷の名称はこのあたりに由来するか。

明治維新後は、この地に商家・町人が移り住み、町の名も小川町となり、町内の守護神として、改めて伏見稲荷を勧請した。御祭神は、宇迦之御魂神

近隣氏子有志によって新しく社殿を建立、毎年5月14日・15日の両日修祓式を行い、神楽を奏し、祭典を執行したという。

戦後、昭和21年(1946年)、小川町北部町会が解散、現在の四つの町会に分離した。

この時、古老や総代は神社の廃絶を憂い、幸徳稲荷神社奉信会を結成、氏子500世帯からなり、町会相互の連絡、親睦が図られた。

昭和43年(1968年)、幸徳会館が建設され、その2階に社を移した。現在の、白い外階段から上がることができる「境内」となった。

毎年2月3日に神田神社より神職を招き、節分祭を挙行している。

また神田神社の大祭に合わせて、隔年5月に修祓式と神輿の町内巡幸および神田神社への宮入参拝を行っている。

【ご利益】
商売繁盛、地域安全、家内安全
幸徳稲荷神社 東京都千代田区神田小川町
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