茨城・栃木・福島の県境、八溝山山頂に鎮座、旧暦4月に梵天祭り
[住所]茨城県久慈郡大子町上野宮2129
[電話]0295-72-1148
八溝嶺神社(やみぞみねじんじゃ)は、茨城県久慈郡大子町上野宮にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「八溝嶺神社(陸奥国・白河郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
茨城県と栃木県、そして福島県に跨ってそびえる標高1022メートルの八溝山山頂に鎮座する。
山頂は、茨城県と福島県の境界だが、当社境内は茨城県側にある。山頂までは舗装された道が延びており、車で行くことができる。
社伝によれば、第12代景行天皇40年、日本武尊が八溝山に立てこもる賊を討ち、大己貴命・事代主命を祀ったのが始まりだという。
また、一説には、奈良時代、第45代聖武天皇の頃、伝教大師最澄が湯殿山修行の時、南方の八溝山を見渡し、奇瑞雲が現れれた。
そこで、山頂に登り、山王二荒両社を建立したのが始まりとも。ただし、最澄は聖武天皇の頃、生まれていない、と考えられる。
これよりも前、奈良時代直前の時期と考えられるが、池田城主(池田村鏡山城主)藤原富得が、八溝山の悪鬼・大蛇を退治に出かけた。
その途上、大蛇に襲われた。この時、空から1人の童子が出現し、大蛇を投げおろした。この童子は風神の化身で、その場所が蛇穴と呼ばれるようになったという。
平安時代の延暦16年(797年)、坂上田村麻呂が八溝山に陣を置き、神の加護により大勝したので、宝剣を奉納した。
大同2年(807年)、弘法大師空海がこの地を訪れ、神殿を修復して霊地と定めた。鬼神・鬼賊大猛丸を退治し、山頂に立って、その山容を見て「八溝の嶺」と名付けた。
これが正しければ、社名の起こりはこれ以降となる。この空海といい、先の藤原富得といい、鬼神の話が多く伝わっている。
八溝山からかつて金が産出したといい、承和3年(836年)、山中より採取された砂金が献上され、遣唐使派遣の資金になったという。
また、仁寿2年(853年)、慈覚大師が山に登って修復事業を行った。天喜5年(1057年)には、源頼義が東征の折に参籠し、宝刀を奉納し戦勝を祈願した。
戦国時代の永正7年(1510年)、兵火により焼失するも、佐竹氏第15代当主佐竹義舜により再建された。
以前は広い信仰圏を持ち、福島県の白河郷北郷86ヶ村と南郷58ヶ村、栃木県の那須郡260ヶ村、茨城県の依上・保内郷42ヶ村が氏子範囲だったという。
現在は茨城県側の人々によって祭祀が行われている。旧暦4月17日に行われる梵天祭りが有名で、金紙・銀紙を張り付け飾り付けられた5-6メートルの鉾「梵天」が奉納される。
【ご利益】
身体壮健、病気平癒、事業成功、武運長久・勝運
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・茨城県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、茨城県に鎮座している神社の一覧
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八溝嶺神社(やみぞみねじんじゃ)は、茨城県久慈郡大子町上野宮にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「八溝嶺神社(陸奥国・白河郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
茨城県と栃木県、そして福島県に跨ってそびえる標高1022メートルの八溝山山頂に鎮座する。
山頂は、茨城県と福島県の境界だが、当社境内は茨城県側にある。山頂までは舗装された道が延びており、車で行くことができる。
社伝によれば、第12代景行天皇40年、日本武尊が八溝山に立てこもる賊を討ち、大己貴命・事代主命を祀ったのが始まりだという。
また、一説には、奈良時代、第45代聖武天皇の頃、伝教大師最澄が湯殿山修行の時、南方の八溝山を見渡し、奇瑞雲が現れれた。
そこで、山頂に登り、山王二荒両社を建立したのが始まりとも。ただし、最澄は聖武天皇の頃、生まれていない、と考えられる。
これよりも前、奈良時代直前の時期と考えられるが、池田城主(池田村鏡山城主)藤原富得が、八溝山の悪鬼・大蛇を退治に出かけた。
その途上、大蛇に襲われた。この時、空から1人の童子が出現し、大蛇を投げおろした。この童子は風神の化身で、その場所が蛇穴と呼ばれるようになったという。
平安時代の延暦16年(797年)、坂上田村麻呂が八溝山に陣を置き、神の加護により大勝したので、宝剣を奉納した。
大同2年(807年)、弘法大師空海がこの地を訪れ、神殿を修復して霊地と定めた。鬼神・鬼賊大猛丸を退治し、山頂に立って、その山容を見て「八溝の嶺」と名付けた。
これが正しければ、社名の起こりはこれ以降となる。この空海といい、先の藤原富得といい、鬼神の話が多く伝わっている。
八溝山からかつて金が産出したといい、承和3年(836年)、山中より採取された砂金が献上され、遣唐使派遣の資金になったという。
また、仁寿2年(853年)、慈覚大師が山に登って修復事業を行った。天喜5年(1057年)には、源頼義が東征の折に参籠し、宝刀を奉納し戦勝を祈願した。
戦国時代の永正7年(1510年)、兵火により焼失するも、佐竹氏第15代当主佐竹義舜により再建された。
以前は広い信仰圏を持ち、福島県の白河郷北郷86ヶ村と南郷58ヶ村、栃木県の那須郡260ヶ村、茨城県の依上・保内郷42ヶ村が氏子範囲だったという。
現在は茨城県側の人々によって祭祀が行われている。旧暦4月17日に行われる梵天祭りが有名で、金紙・銀紙を張り付け飾り付けられた5-6メートルの鉾「梵天」が奉納される。
【ご利益】
身体壮健、病気平癒、事業成功、武運長久・勝運
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