平安前期の創建、磐城四郡の総鎮守、江戸期に所在不明も復興
[住所]福島県いわき市平揚土30
[電話]0246-25-2091
子鍬倉神社(こくわくらじんじゃ)は、福島県いわき市平揚土にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「子鍬倉神社(陸奥国・磐城郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
創建は、平安時代前期、第51代平城天皇の大同元年(806年)と伝えられる。古くは磐城四郡の総鎮守と称せられた。
当社名は、日本全国ただ一社であるばかりでなく、「子」は蚕を意味し、当地方でも養蚕の盛んな時代には、蚕を「お子さん」と呼んで大切にしていた。
その「衣」を代表する言葉であり、また、「鍬」は農具を意味して「食」を代表し、「倉」は古代に於ける物品出納の場所で、すなわち「住」を意味した。
「子鍬倉」はまさに「衣食住」を代表するということになり、御祭神の御神徳を表現しているという。御祭神は、稲倉魂命。
当社は古来、平桜町、現在の磐城女子高校内に鎮座したが、江戸時代草創期の慶長7年(1602年)、鳥居忠政が磐城平城を築くに当たり、社地を収めた。
その際、神社修復を怠り、荒廃したという。その後に平城主となった内藤氏は敬神の念篤く、由緒ある当社の荒廃を嘆いた。
桜町の稲荷社の付近から曲玉などが検出されたため、江戸時代後期の文政9年(1826年)、この稲荷社が式内社「子鍬倉神社」に比定された。
現在の揚土台にあった牛頭天王社(現 八坂神社)社域に遷座して再興。しかし、天保2年(1831年)4月、火災のため、社殿や古文書、神宝を焼失した。
嘉永6年(1853年)5月、官民協力のもとで社殿を再建し、その当時のものとして現在の本殿と旧拝殿である額殿が現存している。
飯野八幡宮、八坂神社とともに平城三社の一つとしても歴代の平城主の厚い尊崇を受けた、という。
しかし、以上の経緯から、その崇敬は、江戸時代後期から幕末にかけての一時期だった、とも考えられる。
明治になり、当時磐前県は当社を県社の第一号に指定した。そのため、社格制度が廃止された現在においても、「県社」の愛称で親しまれている。
その後、その後順次境内を整備し、現在の拝殿・幣殿は昭和4年(1929年)建築のものである。
例祭は4月18日。4月最終土・日曜日には神輿渡御が行われ、市中心の市街地を練り歩く。
境内社に、八坂神社の他、官社天満宮、秋葉神社、金比羅神、鷺森社がある。
八坂神社は、奈良時代の和銅年間(708年-715年)の勧請と伝えられ、もとは大館に鎮座、物見岡赤目崎に遷座し、その後、再度当地に遷座した。近代社格では村社。
【ご利益】
家内安全、衣食住の神、五穀豊穣、商売繁盛

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[電話]0246-25-2091
子鍬倉神社(こくわくらじんじゃ)は、福島県いわき市平揚土にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「子鍬倉神社(陸奥国・磐城郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
創建は、平安時代前期、第51代平城天皇の大同元年(806年)と伝えられる。古くは磐城四郡の総鎮守と称せられた。
当社名は、日本全国ただ一社であるばかりでなく、「子」は蚕を意味し、当地方でも養蚕の盛んな時代には、蚕を「お子さん」と呼んで大切にしていた。
その「衣」を代表する言葉であり、また、「鍬」は農具を意味して「食」を代表し、「倉」は古代に於ける物品出納の場所で、すなわち「住」を意味した。
「子鍬倉」はまさに「衣食住」を代表するということになり、御祭神の御神徳を表現しているという。御祭神は、稲倉魂命。
当社は古来、平桜町、現在の磐城女子高校内に鎮座したが、江戸時代草創期の慶長7年(1602年)、鳥居忠政が磐城平城を築くに当たり、社地を収めた。
その際、神社修復を怠り、荒廃したという。その後に平城主となった内藤氏は敬神の念篤く、由緒ある当社の荒廃を嘆いた。
桜町の稲荷社の付近から曲玉などが検出されたため、江戸時代後期の文政9年(1826年)、この稲荷社が式内社「子鍬倉神社」に比定された。
現在の揚土台にあった牛頭天王社(現 八坂神社)社域に遷座して再興。しかし、天保2年(1831年)4月、火災のため、社殿や古文書、神宝を焼失した。
嘉永6年(1853年)5月、官民協力のもとで社殿を再建し、その当時のものとして現在の本殿と旧拝殿である額殿が現存している。
飯野八幡宮、八坂神社とともに平城三社の一つとしても歴代の平城主の厚い尊崇を受けた、という。
しかし、以上の経緯から、その崇敬は、江戸時代後期から幕末にかけての一時期だった、とも考えられる。
明治になり、当時磐前県は当社を県社の第一号に指定した。そのため、社格制度が廃止された現在においても、「県社」の愛称で親しまれている。
その後、その後順次境内を整備し、現在の拝殿・幣殿は昭和4年(1929年)建築のものである。
例祭は4月18日。4月最終土・日曜日には神輿渡御が行われ、市中心の市街地を練り歩く。
境内社に、八坂神社の他、官社天満宮、秋葉神社、金比羅神、鷺森社がある。
八坂神社は、奈良時代の和銅年間(708年-715年)の勧請と伝えられ、もとは大館に鎮座、物見岡赤目崎に遷座し、その後、再度当地に遷座した。近代社格では村社。
【ご利益】
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