もとは御祓山山頂に鎮座、旧暦1月14日に「まいそう祭り」
[住所]兵庫県養父市大屋町宮本481
[電話]079-662-2793 - 名草神社
御井神社(みいじんじゃ)は、兵庫県養父市大屋町宮本にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「御井神社(但馬国・養父郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。もとは現社地の北東2キロにある御祓山山頂に鎮座していたという。山頂付近には、宮屋敷・神子屋敷の小字が残っている。
御祭神は、御井神。当時は、大屋谷12ヶ村、建屋谷14ヶ村の総社として崇敬され、天王社、岩井明神、岩井牛頭天王社などとも称していた。
戦国時代の天文年間(1532年-1555年)に火災に遭い、社殿が焼失。これを契機として、現在地に遷座したという。
当社の遷宮札には、天文15年(1546年)4月8日に遷宮と記されているという。ただし、伝承では、天文以前にすでに現在地に移っており、火災も現在地でのこととも。
ともかく、この遷宮の際に移された随神像2躯が今に伝わる。耳、手などの手法から、室町期以前に彫成されたものと考えられている。
2躯とも寄木調成で、彩色を施してあったが、ほとんどか落箔して破損が甚だしく、当時の面影は見られないが、貴重な資料として、町の文化財に指定されている。
また、御祓山から南西2キロに当社は鎮座するが、その南西方向にほぼ直線で伸ばしていくと、御形神社、伊和神社がある。2社とも当社神の父にあたる大国主神ゆかり。
江戸時代中期の寛政9年(1799年)3月、江戸時代後期の享和2年(1802年)11月に社殿の造営の記録が残る。
明治6年(1873年)10月、村社に列し、大正4年(1915年)11月には神饌幣帛供進社に指定された。
現在までに、脚摩乳命・手摩乳命・素盞嗚命・奇稲田命と、天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野橡樟日命・田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命の宗像三女神含む五男三女命。
なお、配祀神について、神社明細帳では、大屋彦命・大屋姫命・抓津姫命としている。
旧暦1月14日に行なわれる追儺祭は、御船祭とも呼ばれ、通称は「まいそう祭り」。
往古、この地が泥海だった頃、神船が行方不明となり、諸神が松明をかかげて捜索した故事を模したもの。
氏子の男子が、集団で松明を手に「ないつそーやまーいつそー(無いぞや、もう一艘)」と唱えつつ踊り、3匹の鬼が、それに呼応して踊る。
炎々と燃えさかる松明を頭上で振りかざしながら、木箱に激しくたたきつける。燃えさかる松明の炎で鬼を追い払う珍しい火祭り。
行方不明になったのは2隻とされ、もう1隻は発見された。建屋谷の船谷地区には、神船発見に基づく「あつたーあつたー」と唱える祭りがあったというが、今は途絶えている。
境内社に、稲荷神社・天神社・山神神社・加遲屋神社・若宮神社・鈴鹿神社などがある。『兵庫県神社誌』では他に、田村神社・大己貴神社・須賀神社を記載している。
なお、但馬国には気多郡にも同名の式内社があり、豊岡市に当社と同名の神社がある。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、井戸の神、五穀豊穣
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御井神社(みいじんじゃ)は、兵庫県養父市大屋町宮本にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「御井神社(但馬国・養父郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。もとは現社地の北東2キロにある御祓山山頂に鎮座していたという。山頂付近には、宮屋敷・神子屋敷の小字が残っている。
御祭神は、御井神。当時は、大屋谷12ヶ村、建屋谷14ヶ村の総社として崇敬され、天王社、岩井明神、岩井牛頭天王社などとも称していた。
戦国時代の天文年間(1532年-1555年)に火災に遭い、社殿が焼失。これを契機として、現在地に遷座したという。
当社の遷宮札には、天文15年(1546年)4月8日に遷宮と記されているという。ただし、伝承では、天文以前にすでに現在地に移っており、火災も現在地でのこととも。
ともかく、この遷宮の際に移された随神像2躯が今に伝わる。耳、手などの手法から、室町期以前に彫成されたものと考えられている。
2躯とも寄木調成で、彩色を施してあったが、ほとんどか落箔して破損が甚だしく、当時の面影は見られないが、貴重な資料として、町の文化財に指定されている。
また、御祓山から南西2キロに当社は鎮座するが、その南西方向にほぼ直線で伸ばしていくと、御形神社、伊和神社がある。2社とも当社神の父にあたる大国主神ゆかり。
江戸時代中期の寛政9年(1799年)3月、江戸時代後期の享和2年(1802年)11月に社殿の造営の記録が残る。
明治6年(1873年)10月、村社に列し、大正4年(1915年)11月には神饌幣帛供進社に指定された。
現在までに、脚摩乳命・手摩乳命・素盞嗚命・奇稲田命と、天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野橡樟日命・田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命の宗像三女神含む五男三女命。
なお、配祀神について、神社明細帳では、大屋彦命・大屋姫命・抓津姫命としている。
旧暦1月14日に行なわれる追儺祭は、御船祭とも呼ばれ、通称は「まいそう祭り」。
往古、この地が泥海だった頃、神船が行方不明となり、諸神が松明をかかげて捜索した故事を模したもの。
氏子の男子が、集団で松明を手に「ないつそーやまーいつそー(無いぞや、もう一艘)」と唱えつつ踊り、3匹の鬼が、それに呼応して踊る。
炎々と燃えさかる松明を頭上で振りかざしながら、木箱に激しくたたきつける。燃えさかる松明の炎で鬼を追い払う珍しい火祭り。
行方不明になったのは2隻とされ、もう1隻は発見された。建屋谷の船谷地区には、神船発見に基づく「あつたーあつたー」と唱える祭りがあったというが、今は途絶えている。
境内社に、稲荷神社・天神社・山神神社・加遲屋神社・若宮神社・鈴鹿神社などがある。『兵庫県神社誌』では他に、田村神社・大己貴神社・須賀神社を記載している。
なお、但馬国には気多郡にも同名の式内社があり、豊岡市に当社と同名の神社がある。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、井戸の神、五穀豊穣
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