河水を海に流す土木工事を行った神、航海安全が祈願された古社
[住所]兵庫県豊岡市瀬戸746
[電話]0796-28-2468 - 絹巻神社
西刀神社(せとじんじゃ)は、兵庫県豊岡市瀬戸にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「西刀神社(但馬国・城崎郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
第16代仁徳天皇の御代、円山川流域は黄沼前海と呼ばれ、沼地のような大きな入江だった。
絹巻神社の御祭神である海部直命は、御子の西刀宿禰に命じ、瀬戸の水門を浚渫させ、河水を海に流させた。
そのため、円山川の流域は蒼生安住の地になったと伝わる。第17代履中天皇の御代、西刀宿禰は父の跡を継ぎ、城崎郡司となった。
第21代雄略天皇2年8月、西刀宿禰は瀬戸の丘に葬られ、祠を建てて祀り、水門を浚渫した鍬を相殿に納めたという。
これが当社の創始。ただし、当社ではこれ以前に現在の主祭神である稲背脛命(いなせはぎのみこと)が祀られており、そこに西刀宿禰を合祀したとしている。
社名から考えると、西刀宿禰が中心に見えるが、稲背脛命は、出雲国譲り神話において、大己貴神が御子である事代主命の意見を聞くため熊野諸手船に乗せて遣わした使者。
『古事記』にその神名は見えないが、熊野諸手船を「天鴿(はと)船」とも呼ぶためか、天夷鳥命と同神とする場合がある。
平安時代前期の嘉祥4年(850年)、正六位上に叙された。以来、九度の叙位を経て従三位下となった。
松上明神とも称され、千石船に分祀され、航海安全が祈願されたという。江戸時代中期の寛政9年(1797年)、社殿が造営された。
明治6年(1873年)、村社に列した。例祭は10月吉日。
境内社に、金比羅神社・天満神社・恵比須神社・三宝荒神社・祇園社がある。
【ご利益】
産業振興、土木事業、航海安全、交通安全

【関連記事】
・兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧
[電話]0796-28-2468 - 絹巻神社
西刀神社(せとじんじゃ)は、兵庫県豊岡市瀬戸にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「西刀神社(但馬国・城崎郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
第16代仁徳天皇の御代、円山川流域は黄沼前海と呼ばれ、沼地のような大きな入江だった。
絹巻神社の御祭神である海部直命は、御子の西刀宿禰に命じ、瀬戸の水門を浚渫させ、河水を海に流させた。
そのため、円山川の流域は蒼生安住の地になったと伝わる。第17代履中天皇の御代、西刀宿禰は父の跡を継ぎ、城崎郡司となった。
第21代雄略天皇2年8月、西刀宿禰は瀬戸の丘に葬られ、祠を建てて祀り、水門を浚渫した鍬を相殿に納めたという。
これが当社の創始。ただし、当社ではこれ以前に現在の主祭神である稲背脛命(いなせはぎのみこと)が祀られており、そこに西刀宿禰を合祀したとしている。
社名から考えると、西刀宿禰が中心に見えるが、稲背脛命は、出雲国譲り神話において、大己貴神が御子である事代主命の意見を聞くため熊野諸手船に乗せて遣わした使者。
『古事記』にその神名は見えないが、熊野諸手船を「天鴿(はと)船」とも呼ぶためか、天夷鳥命と同神とする場合がある。
平安時代前期の嘉祥4年(850年)、正六位上に叙された。以来、九度の叙位を経て従三位下となった。
松上明神とも称され、千石船に分祀され、航海安全が祈願されたという。江戸時代中期の寛政9年(1797年)、社殿が造営された。
明治6年(1873年)、村社に列した。例祭は10月吉日。
境内社に、金比羅神社・天満神社・恵比須神社・三宝荒神社・祇園社がある。
【ご利益】
産業振興、土木事業、航海安全、交通安全

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