桓武皇子の病気平癒で宇佐八幡を勧請、小野道風、梶原景時
鞍居神社 兵庫県赤穂郡上郡町金出地910
[住所]兵庫県赤穂郡上郡町金出地910
[電話]0791-52-1135

鞍居神社(くらいじんじゃ)は、兵庫県赤穂郡上郡町金出地にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 赤穂郡「鞍居神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

社伝によれば、平安時代初期、桓武天皇の御代、皇子である神野親王が夜な夜な何かに悩まされていた。

そこで、陰陽博士が卜して占ったところ、宇佐八幡宮に祈願すべき旨が奏上された。

さっそく宇佐八幡宮に対し祈願をしたところ、皇子の病気は平癒し、播磨国金山(金出地)に紫雲が久しくたなびいたという。

この奇異が天皇に報告され、査察の結果、当地が宇佐八幡宮を勧請すべき瑞相の地であるとし、当社が創建されたという。

御祭神は、帯中津比古命(仲哀天皇)、誉田別命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)の八幡三神。

平安時代前期の寛平年間(889年-898年)、小野道風が額を奉納したという。

鎌倉時代初期、源頼朝の命により、諸国神々に天下泰平の祈願が行なわれ、当社には畠山重忠・梶原景時が勅使として参詣した。

その際、当社内陣から二羽の山鳩が飛び立ち、西へ向ったという。鳩は、八幡の神使であるから、当社から宇佐八幡宮へ戻ったことを意味するとも。

戦国時代には、尼子勝久の兵火で焼失、また、天正5年(1577年)、上月城合戦の際にも羽柴秀吉軍に攻撃されて焼失した。

江戸時代を通じて「八幡宮」と称されたが、明治6年(1873年)11月、郷社に列し、明治13年(1880年)、幣殿と拝殿が再建された。

大正5年(1916年)9月27日、神撰幣帛料供進社に指定された。例祭は10月第2日曜日で、秋季大祭。

なお、式内社「鞍居神社」の論社は他に、町内野桑に当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
厄災除け、子宝・安産、諸願成就
鞍居神社 兵庫県赤穂郡上郡町金出地
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