事代主神が降臨した「日本最古の戎宮」、野見宿禰が神主務める
[住所]大阪府堺市堺区石津町1-15-21
[電話]072-241-0935

石津神社(いしづじんじゃ)は、大阪府堺市堺区石津町にある神社。「上石津・戎神社」とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 大鳥郡「石津太社神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

社伝によれば、八重事代主神が五色の石を携えてこの地に降臨したとしており、そこから石津の地名ができたという。

また、この縁起により、当社は「日本最古の戎宮」と呼ばれる。なお、論社で、市内西区浜寺石津町中の石津太神社も、似たような由緒を共有する。

八重事代主神が携えた石は、神社の前に埋められており、天変地異がある時には地面から出て浮き上がると伝えられている。

第5代孝昭天皇7年8月10日、勅願により創建され、第11代垂仁天皇の時代に天穂日命の子孫である野見宿禰を神主としたという。

第16代仁徳天皇の御代、行幸啓があり、祈年穀祭に毎年官幣使が立てられたという。

現在までに、八重事代主神、大己貴神、天穂日神を主祭神とする。境内社に、野見宿禰を祀る宿禰神社と菅原道真を祀る天満宮がある。

第36代孝徳天皇の白雉3年(652年)、行幸啓があり、御手洗川に鏡を落としたため、御手洗川を益鏡の小川と呼ばれるようになった。石津川の由縁である。

第46代孝謙天皇の勝宝元年(749年)、行幸啓があった。また、河内の狭山、野田の二村が神領となったという。

当時の社領は八町四方に及び、殿宇は厳然として広大類いなく、出雲大社に次ぐ御社という意味で、石津大社とも呼ばれたという。

その後、幾度もの兵火により、壮大な社殿も焼失、神領も喪失したが、再建が繰り返された。南北朝時代、第96代後醍醐天皇の行幸啓があったという。

えびす神は一般的に耳が遠いとされており、当社では、本殿横に木槌で叩いて願い事を唱える板が設置されている。

例祭は10月5日で、秋季例大祭。その直後の土曜日が宵宮祭で、だんじり・ふとん太鼓が宮入し、稚児社参行列がある。

翌日曜日が本宮祭で、地車・こどもだんじりが宮入し、御旅所へ神輿御神幸があり、だんじり・神輿・ふとん太鼓のパレードが行われる。

1月には十日戎があり、また、大祓の時期には茅の輪が備えられる。

境内には、推定樹齢700年-1000年のクスノキの巨樹が3本ある。また、樹高11メートルのオガタマノキがある。

【ご利益】
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石津神社 大阪府堺市堺区石津町
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石津神社 大阪府堺市堺区石津町の御朱印