白田川の守護神、鎌倉期から八幡、60年に一度のお召し替え
[住所]静岡県賀茂郡東伊豆町片瀬704-1
[電話]-
片菅神社(かたすげじんじゃ)は、静岡県賀茂郡東伊豆町片瀬にある神社。片管神社・片管命とされる場合があるが、誤り。御朱印の有無は不明。
伊豆急片瀬白田駅から西北西に白田川を1キロほど遡った所に鎮座する。白田川の守護神として崇敬されている。
『延喜式神名帳』にある「片菅命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
ただし、鎌倉時代後期の徳治2年(1308年)の創始と伝えられている。『延喜式神名帳』の後となる。
氏子の総意によって神地を選び、社殿を建立し、八幡大菩薩を勧請して鎮守の社と定めたという。
棟札に「奉勧請若宮正八幡大菩薩・当郷奈良本両村鎮守の所」と記されている。
長らく八幡信仰の社で、本殿には武人像が安置され、60年ごとに衣装、装具などをすべて手造りで新調される祭事が伝わる。
しかし、現在までに御祭神は片菅命。戦前までは当社が有力な式内論社だったようだが、そもそも鎌倉期の創祀。
また、東京都三宅村の三宅島に片菅命が多く祀られていることもあって、現在では否定的な見解が多い。
なお、鎌倉期の創祀については、八幡神の勧請であって、当地・当社そのものの創祀はもっとさかのぼる、との説はある。
他の論社はいずれも三宅島で、御笏神社に合祀の勝祖神社、片菅神社、后神社の境内の若宮神社。
片菅命は、『三宅記』によると、三島大明神(事代主命)の三番目の后である佐伎多麻比咩命の八王子の中の、七番目「かたすけ」のこととされる。
おそらくは、いずれかの時期に三宅島から御分霊を勧請したものと考えられている。現在、先の御神像である武人像は、片菅命であるとされている。
武人であれば八幡神の方がしっくりくるし、片菅命の事跡はあまり伝わらない。先の三宅島の当社と同名の神社には水神としての伝承が残る。
水神であれば、「白田川の守護神」にも合致することになる。
片瀬白田の地名は、この片菅命(かたすげみこと)と、白田川対岸のもっと海寄りに鎮座する志理太乎宜神社の御祭神である志理太乎宜命(しらたきみこと)の兄弟神にちなむとされる。
志理太乎宜命は、八王子の中の第五王子「志たひ」に相当する。志理太乎宜神社も式内論社であり、当社は志理太乎宜神社と対になっているとされる。
当社の例祭は10月8日・9日で秋祭り。氏神の祭礼として、古来から伝わる豊年祭りで、片瀬シャギリ太鼓、演芸などが行われる。
境内社に、山神社と竜爪大神権現などがある。竜爪神とは、静岡市の龍爪山・龍爪権現とされ、鉄砲の神で、「弾丸除け」「徴兵逃れ」の祈願が行われたともいう。
当社そのものが、戦前は戦神としての崇敬が厚く、近郷の出征軍人は必ず当社に武運長久を祈った、とされるが、実態はこの竜爪大神権現への祈願だったのかもしれない。
【ご利益】
水難除け、海上安全、五穀豊穣・事業成功

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・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
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片菅神社(かたすげじんじゃ)は、静岡県賀茂郡東伊豆町片瀬にある神社。片管神社・片管命とされる場合があるが、誤り。御朱印の有無は不明。
伊豆急片瀬白田駅から西北西に白田川を1キロほど遡った所に鎮座する。白田川の守護神として崇敬されている。
『延喜式神名帳』にある「片菅命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
ただし、鎌倉時代後期の徳治2年(1308年)の創始と伝えられている。『延喜式神名帳』の後となる。
氏子の総意によって神地を選び、社殿を建立し、八幡大菩薩を勧請して鎮守の社と定めたという。
棟札に「奉勧請若宮正八幡大菩薩・当郷奈良本両村鎮守の所」と記されている。
長らく八幡信仰の社で、本殿には武人像が安置され、60年ごとに衣装、装具などをすべて手造りで新調される祭事が伝わる。
しかし、現在までに御祭神は片菅命。戦前までは当社が有力な式内論社だったようだが、そもそも鎌倉期の創祀。
また、東京都三宅村の三宅島に片菅命が多く祀られていることもあって、現在では否定的な見解が多い。
なお、鎌倉期の創祀については、八幡神の勧請であって、当地・当社そのものの創祀はもっとさかのぼる、との説はある。
他の論社はいずれも三宅島で、御笏神社に合祀の勝祖神社、片菅神社、后神社の境内の若宮神社。
片菅命は、『三宅記』によると、三島大明神(事代主命)の三番目の后である佐伎多麻比咩命の八王子の中の、七番目「かたすけ」のこととされる。
おそらくは、いずれかの時期に三宅島から御分霊を勧請したものと考えられている。現在、先の御神像である武人像は、片菅命であるとされている。
武人であれば八幡神の方がしっくりくるし、片菅命の事跡はあまり伝わらない。先の三宅島の当社と同名の神社には水神としての伝承が残る。
水神であれば、「白田川の守護神」にも合致することになる。
片瀬白田の地名は、この片菅命(かたすげみこと)と、白田川対岸のもっと海寄りに鎮座する志理太乎宜神社の御祭神である志理太乎宜命(しらたきみこと)の兄弟神にちなむとされる。
志理太乎宜命は、八王子の中の第五王子「志たひ」に相当する。志理太乎宜神社も式内論社であり、当社は志理太乎宜神社と対になっているとされる。
当社の例祭は10月8日・9日で秋祭り。氏神の祭礼として、古来から伝わる豊年祭りで、片瀬シャギリ太鼓、演芸などが行われる。
境内社に、山神社と竜爪大神権現などがある。竜爪神とは、静岡市の龍爪山・龍爪権現とされ、鉄砲の神で、「弾丸除け」「徴兵逃れ」の祈願が行われたともいう。
当社そのものが、戦前は戦神としての崇敬が厚く、近郷の出征軍人は必ず当社に武運長久を祈った、とされるが、実態はこの竜爪大神権現への祈願だったのかもしれない。
【ご利益】
水難除け、海上安全、五穀豊穣・事業成功

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