三嶋大社の門神も御祭神は式内、手無の地が旧地、式内二論社
左内神社 静岡県三島市中島310-2
[住所]静岡県三島市中島310-2
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左内神社(さないじんじゃ)は、静岡県三島市中島にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』伊豆国田方郡にある「阿米都瀬気多知命神社」「文梨神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。梅名川(殿川)を挟んで、東岸に当社、西岸に右内神社がある。

当社と右内神社は「三島大社御門左右ノ神」であり、三嶋大社の随神門として、下田街道の左右に鎮座していた。

御祭神は阿米都瀬気多知命。しかし、右内神社とのペアで考えれば、門神、しかも右内神社と対をなす豊石窓神とするとしっくりくるのだが。

しかし、一方で式内の御祭神を一貫して祀っており、当社は天地宮(あめつちのみや)とも呼ばれ、有力な論社ともされているのは確か。

『式内社調査報告』では、荒れ狂う大場川をイメージして、根拠の一つに挙げている。他の論社に、先の右内神社、函南町平井の天地神社がある。参考社として、気多神社

旧社地は、現社地から北東300メートルにあったが、明治19年(1886年)の火災により焼失。翌年、現在地に遷座した。

旧社地は、手無(てなし)という地名だった。昔、若侍が夜更けにここを通った時、鬼女が現れ、若侍を襲った。

そこで、鬼女の手を切り落としたが、夜が明けると、そこにあった地蔵の左手が田の中に転がっていたといい、手無の地蔵と呼ばれたという。

この手無は、「ててなし」の訛で、父無し(父梨)を意味し、式内「文梨神社」の文梨は、その父梨の誤植だと考える説がある。

式内「文梨神社」の他の論社に、函南町塚本の満宮神社、沼津市西浦江梨の神明神社がある。

なお、旧社地は遷座の後、宮地と呼称され、宮畑として耕作されていたが、駿豆広域水道事業の貯水場用地として接収された。

明治になり、村社に列し、明治40年(1907年)には幣帛料供進社に指定された。例祭は7月17日。

【ご利益】
五穀豊穣、家内安全、厄災除け
左内神社 静岡県三島市中島
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