下田街道に鎮座する三嶋大社の門神、源頼朝の参拝と手水伝承
右内神社 静岡県三島市梅名1
[住所]静岡県三島市梅名1
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右内神社(うないじんじゃ)は、静岡県三島市梅名1にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』伊豆国田方郡にある「阿米都瀬気多知命神社」、伊豆国賀茂郡にある「伊波氐別命神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

梅名川(殿川)を挟んで、西岸に当社、東岸に左内神社がある。左内神社も式内社「阿米都瀬気多知命神社」の論社。

当社境内には小さな池があり、「宇米都之池」の石碑がある。梅名の地名は、梅津を意味し、宇米都は、阿米都から転じたものするという説がある。

当社と左内神社は「三島大社御門左右ノ神」であり、三嶋大社の随神門として、下田街道の左右に鎮座していた。

創祀年代は不詳。御祭神は門神である櫛石窗命。例祭は10月18日。

永承5年(1050年)、三嶋大社の北遷とともに、式内のもう一つの可能性としての賀茂の地より御門の守護神として現在地に奉斎され、翌年には従三位の神階が授けられたという。

伊豆国蛭ヶ小島に流された源頼朝が、崇敬する三嶋大社に源氏再興の大願をかけ、百日参籠する道すがら、当社に度々立ち寄ったという。

ある時、頼朝は、当社の参道に手洗水がなかったので、従者に持たせてあった長刀で地面を突き刺すと、そこから清水が湧き出してきたという。

現在も境内に、頼朝公手洗水がある。また、近くには「駒止めの橋」の名が残っている。

在庁道と呼ばれた国道136号から分かれて、当社の北側を通る道には当時、小さな橋が架かっており、頼朝の従者の安達藤九郎が、馬を止め、水を飲ませて休ませたと伝わる。

また、梅名川に連なる「うなぎの池」と呼ばれる池があり、そこには三嶋大明神の使者と言われた鰻が川を下って集まり、冬越えをしたと伝わる。

そのため、当社は「うなぎの宮」と呼ばれ、氏子は鰻を食べない習慣が、明治の初めごろまであったという。

現在、文禄・慶長(1593年-1615年)の古文書三通、永承年間(1046年-1053年)と伝わる棟札書があるという。

また、慶長・正徳(1711年-1716年)・宝暦(1751年-1764年)・慶応(1865年-1868年)・明治(1868年-1912年)の各年間の棟札がある。

なお、式内社「阿米都瀬気多知命神社」の論社は先の左内神社の他、函南町平井の天地神社がある。参考社として、気多神社

式内社「伊波氐別命神社」の論社は他に、南伊豆町岩殿の諏訪神社、伊東市川奈の夷子神社がある。

【ご利益】
家内安全、厄災除け、方除け
右内神社 静岡県三島市梅名
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