諏訪神が見えない、集塊岩を祀った式内「伊波氐別命神社」論社
[住所]静岡県賀茂郡南伊豆町岩殿167-1
[電話]-
諏訪神社(すわじんじゃ)は、静岡県賀茂郡南伊豆町岩殿にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「伊波氐別命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。創立は安土桃山時代の天正2年(1574年)とされるが、現社殿の建立を示すものか。『静岡縣神社志』ではその説を採る。
式内社「伊波氐別命神社」、『伊豆国神階帳』の「いはてわけのみこ」を主張する。境内案内にある創立を字義通りと取ると、矛盾することになる。
当社は、斜面の山の上に鎮座する。式内社「伊波氐別命神社」は、岩殿寺の後にある集塊岩の大窟を祀ったと伝わることが根拠だという。
毛倉野との分岐点には大きな岩肌が見えており、地名の岩殿も、伊波氐別命が変化したものとする説もある。
また、当社は古くは若宮とも称しており、岩殿の若宮は「いはてわけのみこ」と推測されているという。
御祭神は伊波氐別命。だが、不詳。『三宅記』にも見えない。ただ、若宮、と呼ばれたことは、三島大神(事代主命)の御子神を表すのかもしれない。
江戸時代中期の正徳3年(1713年)に社殿が造営されたが、その際は諏訪大明神とあり、現社号と一致している。
諏訪大明神といえば、通常は健御名方命を指すが、当社に限っては全くその気配がない。境内にある大黒像が、大国主命として類縁を示すか。
三嶋神は、事代主命だから、諏訪神とは兄弟関係になり、そもそもが遠くはないか。
明治6年(1873年)7月、村社に列した。当社境内のある高台から、下ったような位置に、もとの地主神を祀ったような石祠がある。
なお、式内社「伊波氐別命神社」の論社は他に、三島市梅名の右内神社、伊東市川奈の夷子神社がある。
【ご利益】
家内安全、地域安全、事業成功

【関連記事】
・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
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諏訪神社(すわじんじゃ)は、静岡県賀茂郡南伊豆町岩殿にある神社。御朱印の有無は不明。
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創祀年代は不詳。創立は安土桃山時代の天正2年(1574年)とされるが、現社殿の建立を示すものか。『静岡縣神社志』ではその説を採る。
式内社「伊波氐別命神社」、『伊豆国神階帳』の「いはてわけのみこ」を主張する。境内案内にある創立を字義通りと取ると、矛盾することになる。
当社は、斜面の山の上に鎮座する。式内社「伊波氐別命神社」は、岩殿寺の後にある集塊岩の大窟を祀ったと伝わることが根拠だという。
毛倉野との分岐点には大きな岩肌が見えており、地名の岩殿も、伊波氐別命が変化したものとする説もある。
また、当社は古くは若宮とも称しており、岩殿の若宮は「いはてわけのみこ」と推測されているという。
御祭神は伊波氐別命。だが、不詳。『三宅記』にも見えない。ただ、若宮、と呼ばれたことは、三島大神(事代主命)の御子神を表すのかもしれない。
江戸時代中期の正徳3年(1713年)に社殿が造営されたが、その際は諏訪大明神とあり、現社号と一致している。
諏訪大明神といえば、通常は健御名方命を指すが、当社に限っては全くその気配がない。境内にある大黒像が、大国主命として類縁を示すか。
三嶋神は、事代主命だから、諏訪神とは兄弟関係になり、そもそもが遠くはないか。
明治6年(1873年)7月、村社に列した。当社境内のある高台から、下ったような位置に、もとの地主神を祀ったような石祠がある。
なお、式内社「伊波氐別命神社」の論社は他に、三島市梅名の右内神社、伊東市川奈の夷子神社がある。
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