八丈島開拓・繁栄に導いた三嶋神の妻と子を祀る式内二社
[住所]東京都八丈町大賀郷無番地
[電話]04996-2-1440
優婆夷宝明神社(うばいほうめいじんじゃ)は、東京都八丈町大賀郷にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』伊豆国賀茂郡にある「優波夷命神社」「許志伎命神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
伊豆諸島、東京都の本州島側地域の南方海上287キロ、やはり式内社である稲根神社が鎮座する御蔵島の南南東方約75キロにある八丈島に鎮座する。
八丈島は、三原山とも呼ばれる標高701メートルの東山と、八丈富士と呼ばれる標高854メートルの西山のふたつの火山が接合。
北西・南東14キロ、北東・南西7.5キロのひょうたん型をしている。面積は山手線の内側とほぼ同じ。
当社は、八丈島の中央部西側にある八重根港の近く、大賀郷の高台に鎮座する。創祀年代は不祥。
総社・郷社とも呼ばれ、八丈島・八丈小島・青ケ島の総鎮守として崇敬されている。
御祭神は、優婆夷大神、つまり八十八重姫で、三島大神(事代主命)の妃神の1柱。
『三宅記』に「イナハエノ后」と記されている。ただし、近世には天照大神と考えられていたとも。
江戸時代後期の寛政年間(1789年-1801年)に、当時の神職である奥山氏が老衰により、岡里の私邸に遷座したが、明治8年(1875年)、旧地に戻し、復興した。
もう1柱の御祭神である宝明神は、許志伎命神社の御祭神。八十八重姫の御子神である。
許志伎命神社の御祭神については、大山祇命とする説もある。ともかく、宝明神は『三宅記』に五郎王子として登場する。
西山の南麓の旧地名を「甑山(こしきやま)」といい、許志伎命神社は、もとは甑山に鎮座していたという。
甑の字が、古敷となり、古布となって、古宝に変化したという。いずれかの時期に、両式内社が合殿となったという。
優婆夷大神は八丈島に渡り、古宝丸(宝明神)を生んだ。後、八十八重姫と古宝丸は母子交合し、八丈島を開拓、繁栄に導いたとされる。
社殿内には木造女神坐像や、色々な宝物が納められているという。境内には織部灯籠や樹齢1000年とされる大蘇鉄などがある。
織部灯籠は、キリシタン灯籠とも呼ばれ、八丈島ではこの一対のみが発見されている。嘉永7年(1854年)奉納。
戦国武将で、茶道家でもある古田織部が考案したとされ、竿の部分が膨らんで、マリア像が刻まれていることがあるため、キリシタン灯籠と呼ばれている。
ただし、当社の灯籠はキリスト教や茶道とは関係なく、島の願主達が名工の誉れ高い石 工仙次郎に、好きなように腕前を揮わせた作品だとされる。
また、ソテツは、八丈島内にもいくつか古株はあるものの、樹齢、樹姿の上から名木に値するとされ、町の天然記念物に指定されている。
例祭は11月13日。その前の土曜日には御輿の巡行が、日曜日には夜店、八丈太鼓、抽選会、餅まきなどが行われる。
抽選会では、ニワトリ・伊勢海老・尾長鯛・島酒・米・ミカン・自転車などの景品があるという。
なお、式内社「許志伎命神社」に関しては、静岡県伊東市富戸の三島神社が参考社とされる場合があるが、その根拠などは不詳。
【ご利益】
家内安全、地域安全、子宝・安産、事業成功
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優婆夷宝明神社(うばいほうめいじんじゃ)は、東京都八丈町大賀郷にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』伊豆国賀茂郡にある「優波夷命神社」「許志伎命神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
伊豆諸島、東京都の本州島側地域の南方海上287キロ、やはり式内社である稲根神社が鎮座する御蔵島の南南東方約75キロにある八丈島に鎮座する。
八丈島は、三原山とも呼ばれる標高701メートルの東山と、八丈富士と呼ばれる標高854メートルの西山のふたつの火山が接合。
北西・南東14キロ、北東・南西7.5キロのひょうたん型をしている。面積は山手線の内側とほぼ同じ。
当社は、八丈島の中央部西側にある八重根港の近く、大賀郷の高台に鎮座する。創祀年代は不祥。
総社・郷社とも呼ばれ、八丈島・八丈小島・青ケ島の総鎮守として崇敬されている。
御祭神は、優婆夷大神、つまり八十八重姫で、三島大神(事代主命)の妃神の1柱。
『三宅記』に「イナハエノ后」と記されている。ただし、近世には天照大神と考えられていたとも。
江戸時代後期の寛政年間(1789年-1801年)に、当時の神職である奥山氏が老衰により、岡里の私邸に遷座したが、明治8年(1875年)、旧地に戻し、復興した。
もう1柱の御祭神である宝明神は、許志伎命神社の御祭神。八十八重姫の御子神である。
許志伎命神社の御祭神については、大山祇命とする説もある。ともかく、宝明神は『三宅記』に五郎王子として登場する。
西山の南麓の旧地名を「甑山(こしきやま)」といい、許志伎命神社は、もとは甑山に鎮座していたという。
甑の字が、古敷となり、古布となって、古宝に変化したという。いずれかの時期に、両式内社が合殿となったという。
優婆夷大神は八丈島に渡り、古宝丸(宝明神)を生んだ。後、八十八重姫と古宝丸は母子交合し、八丈島を開拓、繁栄に導いたとされる。
社殿内には木造女神坐像や、色々な宝物が納められているという。境内には織部灯籠や樹齢1000年とされる大蘇鉄などがある。
織部灯籠は、キリシタン灯籠とも呼ばれ、八丈島ではこの一対のみが発見されている。嘉永7年(1854年)奉納。
戦国武将で、茶道家でもある古田織部が考案したとされ、竿の部分が膨らんで、マリア像が刻まれていることがあるため、キリシタン灯籠と呼ばれている。
ただし、当社の灯籠はキリスト教や茶道とは関係なく、島の願主達が名工の誉れ高い石 工仙次郎に、好きなように腕前を揮わせた作品だとされる。
また、ソテツは、八丈島内にもいくつか古株はあるものの、樹齢、樹姿の上から名木に値するとされ、町の天然記念物に指定されている。
例祭は11月13日。その前の土曜日には御輿の巡行が、日曜日には夜店、八丈太鼓、抽選会、餅まきなどが行われる。
抽選会では、ニワトリ・伊勢海老・尾長鯛・島酒・米・ミカン・自転車などの景品があるという。
なお、式内社「許志伎命神社」に関しては、静岡県伊東市富戸の三島神社が参考社とされる場合があるが、その根拠などは不詳。
【ご利益】
家内安全、地域安全、子宝・安産、事業成功
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