三嶋神が上陸して子を置いた地、伊波久良別命を祀る式内論社
[住所]静岡県賀茂郡南伊豆町子浦1000
[電話]-
八幡神社(はちまんじんじゃ)は、静岡県賀茂郡南伊豆町子浦にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「伊波久良和気命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
伊豆半島の北西部にある子浦港を見下ろす山腹に鎮座する。創祀年代は不詳。
式内社「伊波久良和氣命神社」は、『伊豆国神階帳』に「従四位上いはくらわけの明神 」とある。
昔、三島大神(事代主命)が一族諸神を率いて来た時、まず、妻良に上陸して妃神をその地に置いた。妻良にはその伝承を残す三島神社がある。
その後、御子神をこの子浦の地に置いたという。その御子神は、一説には東京都神津島村の物忌奈命神社の御祭神である物忌奈命であり、伊波久良別命と名付けられたという。
妃と子を置いた地に、今もそれぞれ地名に「妻」「子」が冠されている。
主祭神は伊波久良別命。その後に天満宮を合祀、現在は別殿に菅原道真公を祀る。
また、八幡を合祀したとも。ただし、御祭神にはその影は見えない。御祭神だけを見ると、当社がなぜ現社号を称しているのかは不詳だ。
もとは現在地より1.5キロほどの子浦から蛇石への街道の東、岩倉の窪という地にあったという。
現在地への遷座がいつの頃なのかは不明だが、戦国時代の文明18年(1486年)以前だという。
ちなみに、妻良の三島神社も、当社の現在地同様、湾の見える山腹に鎮座している。三島神社には遷座の記録はない。
当社の旧地がどのような場所だったかわからないが、三嶋神の眷属である両社が、同じような立地に鎮座しているのは興味深い。
例祭は11月2日。この地域では毎年11月1日・2日に太鼓祭りが行われる。
なお、式内社「伊波久良和氣命神社」の論社は他に、伊東市八幡野の八幡宮来宮神社がある。
【ご利益】
水難除け、海上安全、大漁満足・商売繁盛
【関連記事】
・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
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八幡神社(はちまんじんじゃ)は、静岡県賀茂郡南伊豆町子浦にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「伊波久良和気命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
伊豆半島の北西部にある子浦港を見下ろす山腹に鎮座する。創祀年代は不詳。
式内社「伊波久良和氣命神社」は、『伊豆国神階帳』に「従四位上いはくらわけの明神 」とある。
昔、三島大神(事代主命)が一族諸神を率いて来た時、まず、妻良に上陸して妃神をその地に置いた。妻良にはその伝承を残す三島神社がある。
その後、御子神をこの子浦の地に置いたという。その御子神は、一説には東京都神津島村の物忌奈命神社の御祭神である物忌奈命であり、伊波久良別命と名付けられたという。
妃と子を置いた地に、今もそれぞれ地名に「妻」「子」が冠されている。
主祭神は伊波久良別命。その後に天満宮を合祀、現在は別殿に菅原道真公を祀る。
また、八幡を合祀したとも。ただし、御祭神にはその影は見えない。御祭神だけを見ると、当社がなぜ現社号を称しているのかは不詳だ。
もとは現在地より1.5キロほどの子浦から蛇石への街道の東、岩倉の窪という地にあったという。
現在地への遷座がいつの頃なのかは不明だが、戦国時代の文明18年(1486年)以前だという。
ちなみに、妻良の三島神社も、当社の現在地同様、湾の見える山腹に鎮座している。三島神社には遷座の記録はない。
当社の旧地がどのような場所だったかわからないが、三嶋神の眷属である両社が、同じような立地に鎮座しているのは興味深い。
例祭は11月2日。この地域では毎年11月1日・2日に太鼓祭りが行われる。
なお、式内社「伊波久良和氣命神社」の論社は他に、伊東市八幡野の八幡宮来宮神社がある。
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