住吉神社と、式内比定されたもと武山鎮座の武峯神社を合祀
三島神社 静岡県下田市柿崎122
[住所]静岡県下田市柿崎122
[電話]-

三島神社(みしまじんじゃ)は、静岡県下田市柿崎にある神社。柿崎三島神社とも。御朱印の有無は不明。

創祀や創建については不詳だが、南北朝時代の康永年間(1342年-1345年)の創建と伝わる。

もとは三島大明神と呼ばれ、いずれかの時期に住吉神社を合祀した、という。御祭神は、大国主命で、中筒男命を配祀する。

ただしよく分かっていない。住吉神を素盞鳴命だとしたり、三島神は通常通り、事代主命だとする説などもある。

『式内社調査報告』によると、当社は、『延喜式神名帳』にある「竹麻神社三座(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)である旧無格社武峯神社が合祀されているという。

また、『静岡県神社誌』によると、この武峯神社は、式内社「竹麻神社三座」の一座だという。

それによると、『増訂豆州志稿』に、式内社「竹麻神社三座」は下田市にあり、当社の他、吉佐美の八幡宮に合祀の三嶋神社、本郷の浅間神社がそれぞれ一座だという。

武山権現とも呼ばれた武峯神社は、下田寝姿山の南端にそびえる岩壁部分「武山」の中腹に鎮座していた。

武山にはかつて岩窟があり、巨岩信仰や、航海上の目印などの役割を果たした可能性が指摘されている。

しかし、明治17年(1884年)、暴風により社殿が倒壊、大正5年(1916年)の下田火災によって所在不明となったという。

現在も、武山の南麓、駐車場の奥に祠がある。参道や鳥居もあり、覆屋内部に祠が祀られているが、武峯神社の後継社かどうかは不詳。

当社の例祭は10月15日。『伊豆 下田』によれば、絶家となってしまったようだが、かつて祭を取り仕切った総親方を「ヘイエモヤ」といったという。

祭の時、榊を自分の持ち山から切る役を独占していた家を「チュウエモヤ」、また、少し離れた外浦の祭のときの榊調達の担当を「モヘエヤ」といったという。

その当時の祭ではまず前日に「ヘイマツリ」という宵祭りがあり、「カミウツシ」で神輿に御神体を乗り移し、その後「ミヤイリ」で神輿は3回海へ入って浄められたという。

「ミヤイリ」は宮入だろう。普通、神社境内に入ることを指すが、当社の場合、海に入ることが、神域に入ることを示していたのだろうか。

御神木はタブノキで、名木に指定されている。また、境内には吉田松陰像がある。

本殿・覆殿の背後は茫々たる社叢で、この社叢や脇の岩山を「シャダン」と呼び、木を刈ると罰があたるとされ、手入れもいけないとされている。

なお、式内社「竹麻神社三座」の論社は他に、下田市高馬の竹麻神社、南伊豆町手石の月間神社、湊の若宮神社、青市の三島神社がある。

【ご利益】
厄災除け、水難除け、事業成功、商売繁盛
三島神社 静岡県下田市柿崎
【関連記事】
静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧