平安期の神津島の噴火で創祀、遷座と分祀繰り返した式内論社
月間神社 静岡県賀茂郡南伊豆町手石336
[住所]静岡県賀茂郡南伊豆町手石336
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月間神社(つきまじんじゃ)は、静岡県賀茂郡南伊豆町手石にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「竹麻神社三座(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

平安時代の承和5年(838年)、神津島で激しい噴火があり、これは阿波神とその御子である物忌奈神の祟りであるとして、神津島の神々が官社に列した。

阿波命神社物忌奈命神社などである。

当社は、その神々と三島神の遥拝所として、鯉名川と青野川の合流地点付近の創祀されたという。現在も字名が残る。

往古、手石湾はもっと深くに入り込んでおり、「鯉名の大港」と呼ばれていたという。

当社も初めはその大港の奥、現在の青市との境近くの南伊豆東小学校・東中学校のあたりに鎮座していたという。

また一説に、上記の神々が神津島から弁天島に渡り、笑止(わらふど、笑戸とも)より上陸して、当地に鎮座したとも。

この後に、神々は田方(広瀬神社)に移り、最終的に現在の三嶋大社に落ち着いた。当社は三嶋大社の旧地との伝えもある。

当社には「正一位三島大明神」を刻した古額が伝わっており、これは治承元年(1177年)、源氏追討祈願により称せられたという。

社伝によると、嘉祥3年(850年)の創祀。『伊豆国神階帳』に「従四位上 月まの明神」とある。

後に青野川の発達や、分村による集落の移動に伴い、まず、三座の中の阿波神が朝日里に分祀し、現在の吉佐美(八幡宮)となった。

その後、鎌倉時代初期の建久3年(1192年)、手石に遷座した。その際、物忌奈神を湊へ分祀したという。現在の湊若宮神社である。

以上の経緯により、当社の御祭神は現在までに三島神である事代主命

明治6年(1873年)9月、村社に列し、明治8年(1875年)には日野神社(天照皇大神)を合祀した。明治16年(1883年)12月、郷社に昇格した。

大正10年(1921年)6月8日、神饌幣帛料供進社に指定された。例祭は11月第2日曜日。

なお、式内社「竹麻神社三座」の論社は、先述の下田市吉佐美の八幡宮に合祀の三嶋神社、南伊豆町湊の若宮神社の他に、下田市に高馬の竹麻神社、本郷の浅間神社、柿崎の三島神社に合祀の武峰神社、南伊豆町青市の三島神社がある。

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月間神社 静岡県賀茂郡南伊豆町手石
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