豊臣秀吉から「流れ瓢箪」を許された渡御祭は7月中旬の3日間
[住所]静岡県熱海市網代172
[電話]-
阿治古神社(あじこじんじゃ)は、静岡県熱海市網代にある神社。御朱印の有無は不明。『延喜式神名帳』にある「阿治古神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
創祀年代は不詳。もともと朝日山に祀られていたが、現在地に遷座したという。特段、式内社の由緒も伝えていない。論社に東京都大島町の大宮神社があり、『三宅記』記載社。
当社はたまたま式内社名と同名の神社ということであって、やはり式内社「阿治古神社」は、大島町の大宮神社か。
当社の御祭神は、天照皇大神・天手力男命・誉田和気命・拷幡千々姫命。相殿に、大己貴命・少彦名命を祀る。
安土桃山時代の天正18年(1591年)、豊臣秀吉は小田原征伐の折、相州押切村の厚木城を攻めるため、網代に軍船を出すことを命じ、当村より30艘が出船した。
厚木城が落ちた後、秀吉は賞として当社に祭典の神船ならびに神船係の奉仕者に「流れ瓢箪」の幕染め、帯刀の着用を許可した。
今も慣例によって御神船「両宮丸」とその奉仕者は、流れ瓢箪印の幕染めを使用している。現在も例祭の奉仕者は、夜も昼も一切酒を口にせず、渡御祭を厳粛に斎行する。
現在、例祭は7月19日(宵宮祭)、20日(本祭り)、21日(後祭り)の3日間。奉納される鹿島踊りが市の無形文化財に指定されている。
10トンはある御神船「両宮丸」を若者が引き回し地区内を練り歩く御神幸行列を代表として、特に「網代の祭り」と称される。
元下多賀村の来宮(五十猛命)を合祀したともされ、酒を忌する伊豆の来宮神・忌宮との関連も考えられる。
社殿は、大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊し、現在の社殿は大正15年(1926年)7月、再建されたもの。
神紋は三つ巴、社紋は五三の桐。境内摂社に、海積神社(龍神宮)・八坂祇園天王社・稲荷社がある。
【ご利益】
大漁満足、水難除け、海上安全、地域安全

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・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
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阿治古神社(あじこじんじゃ)は、静岡県熱海市網代にある神社。御朱印の有無は不明。『延喜式神名帳』にある「阿治古神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
創祀年代は不詳。もともと朝日山に祀られていたが、現在地に遷座したという。特段、式内社の由緒も伝えていない。論社に東京都大島町の大宮神社があり、『三宅記』記載社。
当社はたまたま式内社名と同名の神社ということであって、やはり式内社「阿治古神社」は、大島町の大宮神社か。
当社の御祭神は、天照皇大神・天手力男命・誉田和気命・拷幡千々姫命。相殿に、大己貴命・少彦名命を祀る。
安土桃山時代の天正18年(1591年)、豊臣秀吉は小田原征伐の折、相州押切村の厚木城を攻めるため、網代に軍船を出すことを命じ、当村より30艘が出船した。
厚木城が落ちた後、秀吉は賞として当社に祭典の神船ならびに神船係の奉仕者に「流れ瓢箪」の幕染め、帯刀の着用を許可した。
今も慣例によって御神船「両宮丸」とその奉仕者は、流れ瓢箪印の幕染めを使用している。現在も例祭の奉仕者は、夜も昼も一切酒を口にせず、渡御祭を厳粛に斎行する。
現在、例祭は7月19日(宵宮祭)、20日(本祭り)、21日(後祭り)の3日間。奉納される鹿島踊りが市の無形文化財に指定されている。
10トンはある御神船「両宮丸」を若者が引き回し地区内を練り歩く御神幸行列を代表として、特に「網代の祭り」と称される。
元下多賀村の来宮(五十猛命)を合祀したともされ、酒を忌する伊豆の来宮神・忌宮との関連も考えられる。
社殿は、大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊し、現在の社殿は大正15年(1926年)7月、再建されたもの。
神紋は三つ巴、社紋は五三の桐。境内摂社に、海積神社(龍神宮)・八坂祇園天王社・稲荷社がある。
【ご利益】
大漁満足、水難除け、海上安全、地域安全

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