三島明神「羽分の大后」の子の一人、三原山の噴火で遷座
大宮神社 東京都大島町野増字大宮無番地
[住所]東京都大島町野増字大宮無番地
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大宮神社(おおみやじんじゃ)は、東京都大島町野増にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「阿治古神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。『三宅記』によれば、三島大神事代主命)が大島に置いた后を「羽分の大后」には二人の王子があった。

一人は「太郎王子おほい所」、一人は「次郎王子すくない所」。この「太郎王子おほい所」が当社祭神である阿治古命。

「次郎王子すくない所」が大島北東部にある波知加麻神社の御祭神(波治命)である。

また、二人の母である「羽分の大后」は、波布比咩命として、波浮港の波布比咩命神社に祀られている。

当社は、もとは現社地の東南の山中、三原山旧登山道にあり、三原山砂漠の近くの「阿治古」に鎮座しており、阿治古神社と呼ばれていた。

しかし、度重なる三原山の噴火によって、室町時代の寛正6年・文正元年(1466年)頃、現在地に遷座したと考えられている。

現在地は、波布比咩命神社の旧地で、波布比咩命神社は当社遷座のために、現在地に遷座した。

ちなみに、三原山山頂には、当社の境外社である三原神社が鎮座している。

遷座の際に天照皇大神を増祀し、現在は二柱を祀っているが、江戸時代には、大宮十八社大明神とも称されていた。

これは、三島大明神眷属の「十六王子」を併祀しており、末社十六王子として別社殿に祀っていたため。

慶長7年(1602年)に造営の記録が残る。昭和13年(1938年)の現社殿建立までは、本社と末社の二社殿並立の形式だったという。

江戸時代の社殿修造に関わる木槌12個が保存されている。また、古文書写により、伊豆の河津と伊勢国から宮大工が当社殿の造営に関わったことが分かっている。

明治7年(1874年)6月20日、郷社に列した。大島の旧郷社は当社を含めて三社のみ。例祭は6月15日。十二座神楽、獅子舞が町指定無形民俗文化財。

参道から神社の周囲には、百十数本のシイの木が群生し、都の天然記念物に指定されている。

御神体は菊花散双鳥文の銅鏡で、鎌倉時代の作とされる。やはり、都有形文化財に指定されている。

なお、式内社「阿治古神社」の論社は他に、静岡県熱海市網代に式内同名神社があるが、特段式内の由緒は伝えていない。

【ご利益】
火難消除、厄災除け、開運招福、地域安全
大宮神社 東京都大島町野増大宮
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