耳高大明神こと多祁伊志豆岐命、江戸期以来伝統の式三番叟
[住所]静岡県賀茂郡河津町見高624
[電話]0558-32-0290
見高神社(みたかじんじゃ)は、静岡県賀茂郡河津町見高にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「多祁伊志豆伎命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
社伝によると、奈良時代の天平5年(733年)9月23日の創祀。
当村の段間野というところに、大きな老松があり、松の根元から夜な夜な不思議な牛の鳴き声がした。
村の老人が見に来たところ、一頭の白牛が出現し、牛の背に白装束の御祭神が乗っていた。
牛は老人の体を舐め、霊験をあらわし、その後、耳高大明神と名乗って昇天した。この時が創祀の日。
以後、旧暦9月23日が祭日と定められた。御祭神は耳高大明神こと多祁伊志豆岐命。ほぼ、当社のみに見える神名で、不詳。
昇天の前に、御祭神は、「皆仲良くすれば、繁栄と加護を約束する」とも言ったと伝わる。
であれば、当時、当地で何らかのトラブルがあって、「皆仲良く」できていない状況があり、これを仲裁するための顕現だったのかもしれない。
当初は耳高神社と呼ばれたというが、いずれのかのタイミングで現社名となった。
式内社「多祁伊志豆伎命神社」は、『伊豆国神階帳』に「従四位上 たけしの明神」とある。
他の論社に、下田市高馬の竹麻神社、南伊豆町の一色の姫宮神社に合祀の三島神社、青野と蝶ヶ野の三島神社、河津町川津筏場の瀧山神社などがある。
現在の例祭は新暦換算の10月23日。境内には今でも「回り舞台」のついた神楽殿が貴重な建築物として残っており、ここで見高の式三番叟が奉納される。
毎年、宵宮の10月22日には夜の部として19時から、当日の10月23日には昼の部として11時から、それぞれ約1時間半かけて奉納される。
この式三番叟は、江戸時代に見高出身の江戸歌舞伎の名優4代目市川小団次から指導を受けた村の青年有志が、旧庁屋で上演したのが始まりとされている。
当社の境内社に、水神社、亜神大権現・厄神大権現・淡島大権現、浜川稲荷、金比羅宮・牛頭天王がある。
【ご利益】
五穀豊穣、事業成功、開運招福

【関連記事】
・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
[電話]0558-32-0290
見高神社(みたかじんじゃ)は、静岡県賀茂郡河津町見高にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「多祁伊志豆伎命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
社伝によると、奈良時代の天平5年(733年)9月23日の創祀。
当村の段間野というところに、大きな老松があり、松の根元から夜な夜な不思議な牛の鳴き声がした。
村の老人が見に来たところ、一頭の白牛が出現し、牛の背に白装束の御祭神が乗っていた。
牛は老人の体を舐め、霊験をあらわし、その後、耳高大明神と名乗って昇天した。この時が創祀の日。
以後、旧暦9月23日が祭日と定められた。御祭神は耳高大明神こと多祁伊志豆岐命。ほぼ、当社のみに見える神名で、不詳。
昇天の前に、御祭神は、「皆仲良くすれば、繁栄と加護を約束する」とも言ったと伝わる。
であれば、当時、当地で何らかのトラブルがあって、「皆仲良く」できていない状況があり、これを仲裁するための顕現だったのかもしれない。
当初は耳高神社と呼ばれたというが、いずれのかのタイミングで現社名となった。
式内社「多祁伊志豆伎命神社」は、『伊豆国神階帳』に「従四位上 たけしの明神」とある。
他の論社に、下田市高馬の竹麻神社、南伊豆町の一色の姫宮神社に合祀の三島神社、青野と蝶ヶ野の三島神社、河津町川津筏場の瀧山神社などがある。
現在の例祭は新暦換算の10月23日。境内には今でも「回り舞台」のついた神楽殿が貴重な建築物として残っており、ここで見高の式三番叟が奉納される。
毎年、宵宮の10月22日には夜の部として19時から、当日の10月23日には昼の部として11時から、それぞれ約1時間半かけて奉納される。
この式三番叟は、江戸時代に見高出身の江戸歌舞伎の名優4代目市川小団次から指導を受けた村の青年有志が、旧庁屋で上演したのが始まりとされている。
当社の境内社に、水神社、亜神大権現・厄神大権現・淡島大権現、浜川稲荷、金比羅宮・牛頭天王がある。
【ご利益】
五穀豊穣、事業成功、開運招福

【関連記事】
・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
コメント