三島大神の「羽分の大后」、7月に波浮の大漁節など奉納踊り
[住所]東京都大島町波浮港18(波浮港1-1)
[電話]04992-4-1967
波布比咩命神社(はぶひめのみことじんじゃ)は、東京都大島町波浮港にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「波布比賣命神社/波布比売命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。通称は、波浮明神。『三宅記』によれば、三島大神(事代主命)が大島に置いた后を羽分の大后と呼び、その「羽分の大后」を祀る。
御祭神は、「羽分の大后」こと波布比咩命。姫には二人の王子があり、一人は「太郎王子おほい所」、一人は「次郎王子すくない所」。
「太郎王子おほい所」が大島西側にある大宮神社の御祭神(阿治古命)で、「次郎王子すくない所」が大島北東部にある波知加麻神社の御祭神(波治命)。
波浮港は、もとは美しい清水をたたえた火口池だったといい、当社はその当時に創建されたとする説がある。
式内社「波布比賣命神社」は、平安時代の斉衡6年(855年)、正五位下を賜った。大島に三社ある旧郷社の一つ。
もとは、野増村・大宮神社の旧社地・阿治古地域にあったともされるが、室町時代中期に現在地に遷座したという。
静岡県下田市本郷にも同名の神社があり、一応、式内論社ではあるが、下田のこの社は、当社の分祀、あるいは当社の遥拝所・里宮として機能したと考えられている。
江戸時代後期の寛政12年(1800年)、波浮港村の誕生とともに波浮村民の鎮守になった。現在までに 建御名方富命・八坂刀売命を併せて祀る。
例祭は7月27日。この日を中心に3日間にわたって行われ、波浮の大漁節などと呼ばれる奉納踊りが奉納される。
また、子供御輿、獅子舞、おかめ・ひょとこなどが波浮港地区を練り歩く。
現在の社殿は、昭和13年(1938年)に建築されたもので、入母屋造りに唐破風向拝のつく形式。
慶長18年(1613年)の棟札をはじめ、過去の棟札がよく残っている。それらの棟札の記載から、桃山時代にすでに大島には伊豆の大工の技術が入っていたことが分かる。
【ご利益】
水難除け、海上安全、大漁満足、子宝・安産

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波布比咩命神社(はぶひめのみことじんじゃ)は、東京都大島町波浮港にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「波布比賣命神社/波布比売命神社(伊豆国・賀茂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。通称は、波浮明神。『三宅記』によれば、三島大神(事代主命)が大島に置いた后を羽分の大后と呼び、その「羽分の大后」を祀る。
御祭神は、「羽分の大后」こと波布比咩命。姫には二人の王子があり、一人は「太郎王子おほい所」、一人は「次郎王子すくない所」。
「太郎王子おほい所」が大島西側にある大宮神社の御祭神(阿治古命)で、「次郎王子すくない所」が大島北東部にある波知加麻神社の御祭神(波治命)。
波浮港は、もとは美しい清水をたたえた火口池だったといい、当社はその当時に創建されたとする説がある。
式内社「波布比賣命神社」は、平安時代の斉衡6年(855年)、正五位下を賜った。大島に三社ある旧郷社の一つ。
もとは、野増村・大宮神社の旧社地・阿治古地域にあったともされるが、室町時代中期に現在地に遷座したという。
静岡県下田市本郷にも同名の神社があり、一応、式内論社ではあるが、下田のこの社は、当社の分祀、あるいは当社の遥拝所・里宮として機能したと考えられている。
江戸時代後期の寛政12年(1800年)、波浮港村の誕生とともに波浮村民の鎮守になった。現在までに 建御名方富命・八坂刀売命を併せて祀る。
例祭は7月27日。この日を中心に3日間にわたって行われ、波浮の大漁節などと呼ばれる奉納踊りが奉納される。
また、子供御輿、獅子舞、おかめ・ひょとこなどが波浮港地区を練り歩く。
現在の社殿は、昭和13年(1938年)に建築されたもので、入母屋造りに唐破風向拝のつく形式。
慶長18年(1613年)の棟札をはじめ、過去の棟札がよく残っている。それらの棟札の記載から、桃山時代にすでに大島には伊豆の大工の技術が入っていたことが分かる。
【ご利益】
水難除け、海上安全、大漁満足、子宝・安産

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