港を守護する三島大神の后神を奉斎、北条水軍妻良衆の力石
[住所]静岡県賀茂郡南伊豆町妻良828
[電話]-
三島神社(みしまじんじゃ)は、静岡県賀茂郡南伊豆町妻良にある神社。三島宮とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』伊豆国賀茂郡にある「大津徃命神社/大津往命神社」「阿米都加多比咩命神社」に比定される式内社(いずれも小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。御祭神は古来、大山祇命、あるいは事代主命とされていたが、現在は、大津徃命。
『伊豆國神階帳』に「従四位上 おほつゆき姫の明神」とある。
大津徃命は、「おほつちをのみこと」と読まれるが、「おほつちゆきのみこと」と読む説もある。
『神祇志料』では大津由伎姫明神、『静岡県神社誌』では大津徃比咩命と記されている。
当社は湾の見える山腹に鎮座しており、大津、つまり港を守護する姫神と考えられている。一説には、三島大神(事代主命)の妃神である溝樴姫のことだとされる。
『伊豆国式社考略』では、当社二座のうちの一座を式内社「大津徃命神社」としている。他の論社に、下田市本郷の波布比咩命神社がある。
妻良は古くから拓けた土地で、奈良平城宮跡出土の木簡で天平勝宝8年(756年)の中に「美良里」という地名が見えるという。
この「妻」は、三嶋神の妻の意があるとも。子浦の八幡神社には、当地のことと、三嶋神の子の伝承が残る。
子浦の八幡神社における三嶋神の子は物忌奈命、別名とされる伊波久良別命を祀るから、当社はその母である東京都神津島村の阿波命神社の御祭神である阿波咩命と関係があるのかもしれない。
江戸時代初期の慶長13年(1608年)、再建され、明治6年(1873年)9月、村社に列した。大正15年(1912年)には神饌幣帛料供進社に指定された。
別殿には、八雲大神(須佐之男命)が祀られている。境内左手には、北条水軍妻良衆の力石がある。重量は280キロ。
戦国時代、伊豆を平定した北条早雲の傘下に入った妻良衆は、村田一之助を頭領に仰ぎ、北条家中でも屈指の水軍だった。
彼らは、北条氏治世100年において、伊豆衆と呼ばれ、その豪勇ぶりはつとに有名だった。
その勇士達が、平素身体鍛錬のために担ぎ、差し上げたのがこの石で、その名も力石と名づけられ、今日まで伝えられている。
特に、北条氏と豊臣氏との戦雲急な頃、妻良衆の一人である小関加兵衛は、伊豆沖にて敵の斥候一人を捕らえ、北条氏直から感状が贈られた。
その武勇を賞讃された小関加兵衛であるが、この人などは、この石をいとも軽々と差し上げたと伝えられている。
なお、「阿米都加多比咩命神社」の論社は他に、南伊豆町下小野の三島神社、南伊豆町一色の姫宮神社がある。
【ご利益】
水難除け、海上安全、大漁満足、身体壮健

【関連記事】
・静岡県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、静岡県に鎮座している神社の一覧
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三島神社(みしまじんじゃ)は、静岡県賀茂郡南伊豆町妻良にある神社。三島宮とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』伊豆国賀茂郡にある「大津徃命神社/大津往命神社」「阿米都加多比咩命神社」に比定される式内社(いずれも小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。御祭神は古来、大山祇命、あるいは事代主命とされていたが、現在は、大津徃命。
『伊豆國神階帳』に「従四位上 おほつゆき姫の明神」とある。
大津徃命は、「おほつちをのみこと」と読まれるが、「おほつちゆきのみこと」と読む説もある。
『神祇志料』では大津由伎姫明神、『静岡県神社誌』では大津徃比咩命と記されている。
当社は湾の見える山腹に鎮座しており、大津、つまり港を守護する姫神と考えられている。一説には、三島大神(事代主命)の妃神である溝樴姫のことだとされる。
『伊豆国式社考略』では、当社二座のうちの一座を式内社「大津徃命神社」としている。他の論社に、下田市本郷の波布比咩命神社がある。
妻良は古くから拓けた土地で、奈良平城宮跡出土の木簡で天平勝宝8年(756年)の中に「美良里」という地名が見えるという。
この「妻」は、三嶋神の妻の意があるとも。子浦の八幡神社には、当地のことと、三嶋神の子の伝承が残る。
子浦の八幡神社における三嶋神の子は物忌奈命、別名とされる伊波久良別命を祀るから、当社はその母である東京都神津島村の阿波命神社の御祭神である阿波咩命と関係があるのかもしれない。
江戸時代初期の慶長13年(1608年)、再建され、明治6年(1873年)9月、村社に列した。大正15年(1912年)には神饌幣帛料供進社に指定された。
別殿には、八雲大神(須佐之男命)が祀られている。境内左手には、北条水軍妻良衆の力石がある。重量は280キロ。
戦国時代、伊豆を平定した北条早雲の傘下に入った妻良衆は、村田一之助を頭領に仰ぎ、北条家中でも屈指の水軍だった。
彼らは、北条氏治世100年において、伊豆衆と呼ばれ、その豪勇ぶりはつとに有名だった。
その勇士達が、平素身体鍛錬のために担ぎ、差し上げたのがこの石で、その名も力石と名づけられ、今日まで伝えられている。
特に、北条氏と豊臣氏との戦雲急な頃、妻良衆の一人である小関加兵衛は、伊豆沖にて敵の斥候一人を捕らえ、北条氏直から感状が贈られた。
その武勇を賞讃された小関加兵衛であるが、この人などは、この石をいとも軽々と差し上げたと伝えられている。
なお、「阿米都加多比咩命神社」の論社は他に、南伊豆町下小野の三島神社、南伊豆町一色の姫宮神社がある。
【ご利益】
水難除け、海上安全、大漁満足、身体壮健

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