式内論社、「虫切りの神」11月11日に御神体が移動する磯渡御
[住所]茨城県水戸市有賀町1032
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有賀神社(ありがじんじゃ)は、茨城県水戸市有賀町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 那賀郡「藤内神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

平安時代前期の貞観元年(859年)、那珂国造によって創祀されたと伝わる。御祭神は武甕槌命経津主命

この那珂国造を初代の建借馬命とする説があるが、建借馬命は第13代成務天皇の御代の人物で、時代が合わない。

創建当初は、藤内の地に鎮座し、藤内神社と称していたという。式内社の根拠になっている。

一方、これには異説が存在し、もとの鎮座地は有賀台字塚原で、安土桃山時代の天正元年(1573年)に有賀宿字藤内に遷座し、藤内神社と称したとする。

この場合は、式内社とはならない。

安土桃山時代の天正18年(1590年)、塚原城の兵火にかかり、社殿を焼失、翌天正19年(1591年)、現在地に遷座し、鹿島明神と改称した。

『新編常陸國誌』には、式内社「藤内神社」が今は、鹿島社と称している、としている。

『新編常陸國誌』ではこれを谷津町の立野神社としているが、御祭神から見て、この立野社が鹿島社と呼ばれていたかどうか疑わしい、という意見がある。

立野社との距離が近い当社は、当社を比定していない『新編常陸國誌』も、式内比定根拠になっている。他の論社に、市内藤井町の式内同名神社がある。

明治6年(1873年)、青木神社を合祀して村社に列し、明治10年(1877年)に現社号に改称した。明治24年(1891)10月、末社の疱瘡神社(少彦名命月読命)を合祀した。

古来より「虫切りの神様」として子どもの夜泣き・疳の虫に霊験ありとされた。

また、毎年11月11日の早朝に御神体が出御、道中法螺貝を吹き鳴らしながら大洗磯前神社へ渡御する「磯渡御」(お磯下り)は創建来の特殊神事とされる。

確実な記録だけでも、天正2年(1574年)まで遡れる。全国でもめずらしい民俗行事として注目されており、現在は、市の無形民俗文化財。

錦に包まれた御神体は、移動中に参詣者、特に子連れの親たちが、争って、子供に触れさせようとして、子供の無事息災を祈願する。

現在の社殿は昭和51年(1976年)から翌年にかけて、改築がされたもの。

境内社に、湯殿社・天津三十ニ神・諏訪社・稲荷社・熊野社・八坂社・淡島辯天社・天満宮がある。

【ご利益】
子供の夜泣き・疳の虫、病気平癒、無病息災
有賀神社 茨城県水戸市有賀町
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