奈良期に神の山・朝望山が輝き光指す、200年続く茅の輪くぐり
藤内神社 茨城県水戸市藤井町874
[住所]茨城県水戸市藤井町874
[電話]029-229-7654

藤内神社(ふじうちじんじゃ)は、茨城県水戸市藤井町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 那賀郡「藤内神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

当社の西、5キロほどにそびえる、標高204メートルの朝望山が磐筒男・磐筒女の神の御子である経津主命の神山という。

奈良時代の養老5年(721年)4月12日の暁、朝望の峰に霊光が輝き、その光が藤内郷を指して降り、当地に留まった。

人々驚き恐れ、謹んで同年6月15日、社殿を竣功させ、鎮斎した。なお一説に、平安時代前期の嘉祥年間(848年-851年)、神託により香取神宮を勧請したともいう。

境内に藤の木があり、神池の大欅に絡まっている。この藤が村名の由来になり、藤林の中に鎮座しているため、社号にもなった。

康平5年(1062年)、源義家が征奥の途次、当社の戊亥の峰に10万の勢を集め、当社に武運長久を祈願し、社前の藤の枝を申し受けて鞭とし、勇気凄々進軍した。

その兵を集めたところを十万原という。

戦国時代の大永年間(1521年-1528年)、出火し、社殿や神宝が焼失。乱世ですぐには社殿の再建ができなかった。

100年ほどを経て、江戸時代前期の寛永5年(1628年)、宍戸城主秋田河内守が造営、再興した。

往古より藤内大明神と尊称され、奉務祀職42人を数え、正保年間(1645年-1648年)においても15人が奉職していたという。

また、元禄年間(1688年-1704年)、水戸藩2代藩主徳川光圀の命により改築された。

明治5年(1872年)4月、村社に列した。例祭は4月10日。2月8日と12月8日には薬神祭が、6月14日には御田植祭がある。

旧暦6月30日が夏越大祓で、わくぐり祭とも呼ばれる。いわゆる茅の輪くぐりだが、当社では重儀として位置づけられている。

その起源は、江戸時代後期の寛政12年(1800年)6月晦日で、古い。200年以上にわたって、1年も欠かさず現在に至るまで行われている。

当時、四方に伝染病が猛烈に蔓延し、氏子が非常に苦しんだので、茅輪を作りこの神事を行ったところ、御神威を発揮し、氏子の病難が消除されたという。

なお、式内社「藤内神社」の論社は他に、いずれも市内で、谷津町の立野神社、有賀町の有賀神社がある。

【ご利益】
商売繁盛・事業成功、武運長久・勝運、身体健全
藤内神社 茨城県水戸市藤井町
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