平安初期の創祀、以前は鹿島社・谷津明神とも、朝房山の南
[住所]茨城県水戸市谷津町899
[電話]-
立野神社(たてのじんじゃ)は、茨城県水戸市谷津町899にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 久慈郡「立野神社」、那賀郡「藤内神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
平安時代初期の大同年間(806年-810年)、あるいは大同2年(807年)9月の創祀と伝わる。
以前は鹿島社とも呼ばれ、谷津明神とも呼ばれた。御祭神は、級長津彦命・級長戸邊命。
この地域が古代の久慈郡に含まれるとは考えられず、式内社「立野神社」である可能性は小さい、というより、現在では皆無とされている。
式内社「立野神社」の論社は他に、いずれも常陸大宮市で、上小瀬の当社および式内の同名神社、赤土町の天満宮がある。
一方で、『新編常陸國誌』の下記の記述により、那賀郡の式内社である「藤内神社」の論社とされている。
式内社「藤内神社」の論社は他に、いずれも市内で、藤井町の式内と同名神社、有賀町の有賀神社がある。
例祭は11月23日。社殿の屋根の赤々しさが、鬱蒼とした社叢に映える。
【ご利益】
風の神、五穀豊穣、事業成功、交通安全
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立野神社(たてのじんじゃ)は、茨城県水戸市谷津町899にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 久慈郡「立野神社」、那賀郡「藤内神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
平安時代初期の大同年間(806年-810年)、あるいは大同2年(807年)9月の創祀と伝わる。
以前は鹿島社とも呼ばれ、谷津明神とも呼ばれた。御祭神は、級長津彦命・級長戸邊命。
この地域が古代の久慈郡に含まれるとは考えられず、式内社「立野神社」である可能性は小さい、というより、現在では皆無とされている。
式内社「立野神社」の論社は他に、いずれも常陸大宮市で、上小瀬の当社および式内の同名神社、赤土町の天満宮がある。
一方で、『新編常陸國誌』の下記の記述により、那賀郡の式内社である「藤内神社」の論社とされている。
藤内神社、茨城郡阿佐保宇山の麓にあり、今の谷津村なる鹿島社なり、俗には立野社という。阿佐保宇山は現在の、当社北方の標高204メートルの朝房山のこと。ただし、当社は式内社「藤内神社」としても、あまり有力視はされていない。
大足・牛伏・田島・黒磯・三ノ輪・谷津・三ヶ野7ヶ村の鎮守なり。この7ヶ村ことごとく阿佐保宇山を巡る村里なり。
阿佐保宇山は古くは、古の那珂郡の輔時臥山(ふじふしやま)であり、藤内は輔時臥の転音なり。
式内社「藤内神社」の論社は他に、いずれも市内で、藤井町の式内と同名神社、有賀町の有賀神社がある。
例祭は11月23日。社殿の屋根の赤々しさが、鬱蒼とした社叢に映える。
【ご利益】
風の神、五穀豊穣、事業成功、交通安全
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