麻績氏の祖神を祀る、江戸期には水戸藩の崇敬、本殿に葵紋
天志良波神社 茨城県常陸太田市白羽町1670
[住所]茨城県常陸太田市白羽町1670
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天志良波神社(あめのしらはのじんじゃ)は、茨城県常陸太田市白羽町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。兼務している稲村神社の御朱印も拝受可能。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 久慈郡「天之志良波神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創建年代は不詳。一説に、平安時代初期の延暦14年(795年)、坂上田村麻呂が東征の折に奉斎したと伝わる。

田村麻呂が当地へ宿した時に、夢のお告げがあり、白羽の矢を賜ったので、社を建立したというもの。

御祭神は、天白羽命。別名を天之志良波神・長白羽神とも。天太玉命に属し、父は天日鷲命、弟は健葉槌命。

『古語拾遺』には、天照皇大神が岩戸へ隠れた時、麻で青和幣を作った神。麻を植えて、織物を広めた神であり、麻績氏の祖神である。白羽は、衣服の古語であるという。

貞観8年(866年)に従五位下に列し、貞観16年(874年)に従五位上に昇格している。

この2回とも、式内社である薩都神・天速玉神とともに昇叙されている。

これら両神の式内社は現在までにそれぞれ論社があり、難しいが、薩都神社鹿島神社は当社同様、いずれも里川近くに鎮座している。

戦国時代の天文13年(1544年)には佐竹義篤によって社殿が修繕された。

江戸時代前期の元禄年間(1688年-1704年)、水戸藩徳川光圀の命で大聖院の社務を止め、神職の奉仕とした。

江戸時代中期の享保12年(1727年)9月、水戸藩による社殿の営修があり、神宝や圭田2石6斗3升7合が奉納された。

江戸時代後期の天保15年(1844年)には、水戸藩によって白羽など5ヶ村の鎮守社とされた。

以上のように、水戸藩の崇敬厚く、現在も本殿の屋根には葵の紋が付いている。

明治4年(1871年)4月1日、村社に列し、明治6年(1873年)4月には郷社に昇格した。明治44年(1911年)6月12日、神饌幣帛料供進社に指定された。

例祭は4月10日。8月14日には神輿祭が、旧暦9月10日には秋例祭が、12月5日にはかまじめ祭がある。

【ご利益】
産業振興、事業成功、技芸・スポーツ向上
天志良波神社 茨城県常陸太田市白羽町
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