伊和大神の父母、八名の氏子の子女が巫女として大祭に奉仕
[住所]兵庫県宍粟市山崎町与位129
[電話]0790-72-0158
與位神社(よいじんじゃ、与位神社)は、兵庫県宍粟市山崎町与位にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 宍粟郡「与比神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創立は、第13代成務天皇14年2月11日と伝わる。また、第29代欽明天皇25年(564年)2月11日とも。
これらの年月日は、当社から北5キロほどに鎮座する伊和神社(伊和大神)と同時期、ということになる。
伊和大神すなわち大国主命が国土経営をした時、その父母の神として與位大神を與位山の地に、子勝大神を丸山の地に奉斎したのが始まりだという。
御祭神は素盞嗚命・稲田姫命。
ただし、但馬国養父郡に大與比神社があり、御祭神は天日鉾(現在は葺不合尊)であることから、当社の素盞嗚命について疑問視する意見がある。
伊和大神、当社、子勝大神を総称して、伊和三社と呼んだという。子勝大神は、式内ではないが、『播磨国内神名帳』に子勝明神とある。
『播磨鑑』にも、「八乙女の鈴やふりつゝ祈るにぞ神も願をよるの夢みせ」と記され、今もこの故実により、八名の氏子の子女が巫女として大祭に奉仕している。
また昔から神饌第一に粟蒸しを奉る古例が存続している。例祭は、春季大祭が4月29日、秋季大祭が10月体育の日。
明治42年(1909年)、当社の北の丸山に鎮座していた子勝神社を合祀した。現在の当社社殿は、その子勝神社のものだという。
氏子地域は、清野・杉ケ瀬・與位・木ノ谷。境内地は3055坪、境内末社に大歳神社(猿田彦命・大年神)がある。
【ご利益】
家内安全、夫婦和合、交通安全、五穀豊穣
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・兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧
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與位神社(よいじんじゃ、与位神社)は、兵庫県宍粟市山崎町与位にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 宍粟郡「与比神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創立は、第13代成務天皇14年2月11日と伝わる。また、第29代欽明天皇25年(564年)2月11日とも。
これらの年月日は、当社から北5キロほどに鎮座する伊和神社(伊和大神)と同時期、ということになる。
伊和大神すなわち大国主命が国土経営をした時、その父母の神として與位大神を與位山の地に、子勝大神を丸山の地に奉斎したのが始まりだという。
御祭神は素盞嗚命・稲田姫命。
ただし、但馬国養父郡に大與比神社があり、御祭神は天日鉾(現在は葺不合尊)であることから、当社の素盞嗚命について疑問視する意見がある。
伊和大神、当社、子勝大神を総称して、伊和三社と呼んだという。子勝大神は、式内ではないが、『播磨国内神名帳』に子勝明神とある。
『播磨鑑』にも、「八乙女の鈴やふりつゝ祈るにぞ神も願をよるの夢みせ」と記され、今もこの故実により、八名の氏子の子女が巫女として大祭に奉仕している。
また昔から神饌第一に粟蒸しを奉る古例が存続している。例祭は、春季大祭が4月29日、秋季大祭が10月体育の日。
明治42年(1909年)、当社の北の丸山に鎮座していた子勝神社を合祀した。現在の当社社殿は、その子勝神社のものだという。
氏子地域は、清野・杉ケ瀬・與位・木ノ谷。境内地は3055坪、境内末社に大歳神社(猿田彦命・大年神)がある。
【ご利益】
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