垂仁朝に創祀、古代造船業などの山直と関わり、源義経の松
山氏神社 兵庫県加東市社772
[住所]兵庫県加東市社772
[電話]0795-42-0406 - 佐保神社

山氏神社(やまうじじんじゃ)は、兵庫県加東市社にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 賀茂郡「崇健神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

佐保神社のすぐ東に鎮座し、その境外末社とも。地元では「やもりさん」として親しまれている。社殿は西向き。

第11代垂仁天皇の時代に大山祇命を奉斎したのが創祀。第14代仲哀天皇の時代に日本武尊を奉斎した。

さらに、鎌倉時代の承元元年(1207年)、当地開発の祖である源頼道を霊神(みたまのかみ)として合祀した。

『播磨国風土記』では、製鉄、石棺用材の竜山石、古代船速鳥(はやとり)の造船など、古代の産業についても記されている。

奈良時代の天平宝字2年(758年)、遣唐使船を造った時、船名は「播磨」と「速鳥」になった。それほど有名だったようだ。

これらの生産の主体は、山直(やまのあたい)、石作連(いしつくりのむらじ)、船木連(ふなきのむらじ)など、播磨の豪族である。

山直の本拠地は当社地付近であり、播磨各地で「山を管理し、樹木を伐採、山の傾斜を利用して窯を造り須恵器を生産」したという。

加古川市志方町大沢字投松の投松1号窯から出土した9世紀の須恵器には「山直川継」の名がある。

江戸時代中期の享保5年(1720年)、社殿が再興され、享保8年(1723年)には拝殿・鳥居が再建された。

明治7年(1874年)、村社に列した。例祭は7月4日。

「九郎判官源義経公御手植の松」がある。平安時代末期の治承8年(1184年)、三草山合戦で勝利した源義経が今後の勝利を祈願して松を植えたという伝承がある。

なお、式内社「崇健神社」の論社は他に、いずれも加西市で、畑町の高峯神社、下道山町の礒崎神社、池上町の日吉神社がある。

【ご利益】
家内安全、地域安全、一族・子孫繁栄
山氏神社 兵庫県加東市社
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