もとの「須久久神社」一座、平成に不審火も再建、月の清水跡
[住所]大阪府茨木市清水2-10-1
[電話]072-729-8268 - 春日神社(箕面市)
春日神社(かすがじんじゃ)は、大阪府茨木市清水にある神社。清水春日神社とも。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 島下郡「須久久神社二座」の一座に比定される式内社(小社、鍬靫)。
式内社「須久久神社」は、『神宮雑例集』によれば、奈良時代の天平12年(740年)4月5日、右大臣中臣清麻呂が当地に籠居し、その住居附近に祖神を祀ったという。
勧請元は春日大社であり、中臣清麻呂は、中臣鎌足(藤原鎌足)の従兄弟だという。御祭神は、天児屋根命・武甕槌命・経津主命・比売大神の春日四神。
清麻呂は、一座を緑深い須久久山に、一座は清浄な春日山に祀り、いずれも「須久久神社」と称したという。当社は後者にあたる。
式内社「須久久神社」のもう一座は、今も宿久庄にある、式内同名神社である。当社鳥居扁額には「元須久久神社」と見える。
古くは当社地も含め、宿久庄であったが、江戸時代前期の明暦元年(1655)3月に二村に別れた。旧清水村で、それ以降、当社は現社号に改めたと思われる。
明治5年(1872年)、村社に列した。平成22年(2010年)8月28日、不審火による火災で本殿・拝殿が焼失、平成24年(2012年)3月25日、再建された。
例祭は10月15日。
境内には、月の清水跡(桃ノ井)跡がある。『日本三大実録』によれば、第56代清和天皇が上皇になり、奈良東大寺をはじめ諸国の名山霊場を巡拝した。
その中に、摂津国嶋下郡勝尾寺へも御幸あったと記録されている。その折、東に開けて眺望のある西山の寺院に一泊し、観月の宴を催した。
里人大いに欣喜し、桃の花をこの「山の井」の清水に挿して歓待した。上皇はこれをいたく喜ばれ、「月の清水」と命名したという。
【ご利益】
学業・受験合格、事業成功、開運招福

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『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 島下郡「須久久神社二座」の一座に比定される式内社(小社、鍬靫)。
式内社「須久久神社」は、『神宮雑例集』によれば、奈良時代の天平12年(740年)4月5日、右大臣中臣清麻呂が当地に籠居し、その住居附近に祖神を祀ったという。
勧請元は春日大社であり、中臣清麻呂は、中臣鎌足(藤原鎌足)の従兄弟だという。御祭神は、天児屋根命・武甕槌命・経津主命・比売大神の春日四神。
清麻呂は、一座を緑深い須久久山に、一座は清浄な春日山に祀り、いずれも「須久久神社」と称したという。当社は後者にあたる。
式内社「須久久神社」のもう一座は、今も宿久庄にある、式内同名神社である。当社鳥居扁額には「元須久久神社」と見える。
古くは当社地も含め、宿久庄であったが、江戸時代前期の明暦元年(1655)3月に二村に別れた。旧清水村で、それ以降、当社は現社号に改めたと思われる。
明治5年(1872年)、村社に列した。平成22年(2010年)8月28日、不審火による火災で本殿・拝殿が焼失、平成24年(2012年)3月25日、再建された。
例祭は10月15日。
境内には、月の清水跡(桃ノ井)跡がある。『日本三大実録』によれば、第56代清和天皇が上皇になり、奈良東大寺をはじめ諸国の名山霊場を巡拝した。
その中に、摂津国嶋下郡勝尾寺へも御幸あったと記録されている。その折、東に開けて眺望のある西山の寺院に一泊し、観月の宴を催した。
里人大いに欣喜し、桃の花をこの「山の井」の清水に挿して歓待した。上皇はこれをいたく喜ばれ、「月の清水」と命名したという。
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