もとは奈良時代に中臣氏の祖神を奉斎、後の藤原氏の本貫の地
須久久神社 大阪府茨木市宿久庄4-22-33
[住所]大阪府茨木市宿久庄4-22-33
[電話]072-641-2496

須久久神社(すくくじんじゃ)は、大阪府茨木市宿久庄にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 島下郡「須久久神社二座」の一座に比定される式内社(小社、鍬靫)。近代社格では村社。

『神宮雑例集』によれば、奈良時代の天平12年(740年)4月5日、右大臣中臣清麻呂が当地に籠居し、その住居附近に祖神を祀ったという。

清麻呂は、一座を緑深い須久久山に、一座は清浄な春日山に祀り、いずれも「須久久神社」と称したという。当社は前者にあたる。

そのため、もとは天児屋根命を祀っていたと考えられている。勧請元は春日大社とされる。現在は、素盞鳴尊稲田姫命の2柱を祀る。

もとの御祭神が天児屋根命である場合、『延喜式神名帳』には二座とあり、そのもう一座が春日山、現在の市内清水の春日神社とされる。

この付近一帯は後の藤原氏の本貫であり、鎌足の古墳も存在する。物部氏の祀る新屋天照御魂神社の分布と交差しており、藤原氏と物部氏との近い関係が見えるという。

新屋坐天照御魂神社は、市内の西福井西河原宿久庄に三社ある。

古くは春日神社の地も含め、宿久庄であったが、江戸時代前期の明暦元年(1655)3月に二村に別れたという。

明治5年(1872年)、村社に列した。例祭は10月16日。

天王山往生寺の上側に鎮座している。往生寺がもとは神宮寺だったともされる。裏山を背に南面する。

平成元年(1989年)に社殿は再建されたという。 往年は松樹が繁り、鳥居が見えにくいほどだったとも。

現在、一の鳥居は民家と畑の間に取り残されているような形。一の鳥居の南側に石塔があり、南無法蓮華経、両側に鳥羽大善神、小盛り大善神と刻まれている。

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須久久神社 大阪府茨木市宿久庄
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