2代将軍秀忠が勧請、御神木のイチョウ、拝殿の龍、3基の庚申塔
[住所]東京都港区南麻布4-5-61
[電話]03-3444-3467

廣尾稲荷神社(ひろおいなりじんじゃ、広尾稲荷神社)は、東京都港区南麻布にある神社。近代社格では無格社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建は江戸時代初期の慶長年間(1596年-1615年)、2代将軍徳川秀忠が鷹狩りの際、当地に稲荷を勧請したと伝えられる。

御祭神は、宇迦魂之命。麻布宮村の千蔵寺が別当であったため、千蔵寺稲荷とも称された。

また、社地周辺が萩の名所であり、萩が地をナメるように咲き乱れていたことから「ハギナメ稲荷」という俗称もあったという。

古老によれば、将軍勧請の由緒のため、明治中期まで宝前に葵の紋所のついた大提灯が掲げられていたという。

江戸時代後期の弘化2年(1845年)11月24日に発生した青山火事の大火によって社殿が焼失。

弘化4年(1847年)に再建され、防災の視点から本殿は土蔵造りとなり、現存した拝殿が付加された。

また、この大火で御神木の樹齢500年とされるイチョウも被災し、樹幹内部が焼かれたが、外皮のみの状態で再生し、こちらも現存する。

明治42年(1909年)2月22日、現社号に改称。大正12年(1923年)9月1日の関東大震災により土蔵造りの本殿が著しく破損したため、大正14年(1925年)に木造で再建された。

火事や地震でたびたび被災した当社であるが、幸いなことに第二次世界大戦においては、空襲被害を免れた。

戦後になって、現ドイツ連邦大使公邸敷地内に鎮座していた富士見稲荷の御神体が、当社本殿に合祀された。

富士見稲荷については、『文政寺社書上』に不思議な石降りの話がある。なお現在、ドイツ大使公邸敷地内に旧跡があり、詞が残っている。

平成2年(1990年)11月12日、平成天皇陛下御即位の礼当日、これに反対する過激派による時限発火装置を使用したテロの対象となった。

この放火で、幣殿及び拝殿の床下約5坪を焼失したが、早期発見と消火作業により、全焼は免れた。

御神体は木造翁の立像で、商売繁昌・五穀豊穣・火防守護の神として信仰を集めている。例祭は大祭が9月15日、中祭が5月5日。

拝殿の天井には、江戸後末期から明治中頃まで活躍した日本で最初の「洋画家」といわれる高橋由一による墨龍図が残され、区の文化財に指定されている。

境内には、稲荷社の他、本殿後方の道路に面して庚申塔があり、この庚申塔は区指定文化財。

庚申塔は3基あり、中央は元禄3年(1690年)、左は元禄9年(1696年)の年号があり、右は摩滅のため年代不詳だが、状況から左の2基よりも古い可能性があるという。

【ご利益】
商売繁盛、火防
廣尾稲荷神社 東京都港区南麻布
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廣尾稲荷神社 東京都港区南麻布の御朱印