第六天神社と神明社が合併、御神木「千年乃藤」見頃は5月上旬
[住所]東京都調布市国領町1-7-1
[電話]042-482-5207
國領神社(こくりょうじんじゃ、国領神社)は、東京都調布市国領町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
当社は、古く多摩川のほとり、杉森の地に鎮座していた第六天社と、神明社の二社が合併した神社である。双方とも、創建年代は不詳。
第六天社は、鎌倉時代、多摩川のほとりに鎮座し、薬師如来の守護神たる十二神将の中の第6番目に位する第六天神を祀り、薬師寺(現 常性寺)の管理下に置かれていた。
江戸時代前期の寛永17年(1640年)、常性寺が甲州街道筋に移るに際し、ともに国領町184(現 八雲台1丁目・八雲台小学校裏の都営住宅の地点)に遷座した。
明治の神仏分離によって、常性寺から分離され、明治4年(1871年)10月には村社に列し、明治8年(1875年)に國領神社に改称、御祭神を神産巣日神とした。
神明社も、かつては多摩川のほとりに鎮座し、八雲神明社、または鎮座地にちなんで杉森神明社とも呼ばれていた。
荻窪・小川・小林などの一族が、鎌倉よりこの地に移住して創建したと伝えられる。御祭神は当初、建速須佐之男命のみを祀った。
第六天社と同様、薬師寺の管理下に置かれていたが、寛永17年、同じく国領町182(現 国領町1丁目・現在地)に遷座した。
明治42年(1909年)11月17日、天照大御神の御神霊を迎え、合祀した。
旧國領神社の境内地近辺で都営住宅の建築計画が持ち上がり、やむなく同社の土地を移譲することになった。
このため、昭和38年(1963年)10月12日には神明社の土地に旧國領神社を迎え、新たな社殿を造営した上で両社を合祀し、現社号を定めた。
例祭は、4月12日が春季例大祭で、10月12日が秋季例大祭。御神幸祭は体育の日の前日の日曜日。宮神輿や、大大鼓と山車が出る。
御神木に「千年乃藤」がある。「ちょうふ八景」(調布八景)の一つ。藤の花は4月下旬から5月上旬に開花し、当社の境内が一面薄紫色に染まり、香りが広がる。
神明社が寛永17年に当地に遷座した際には既に存在しており、樹齢400-500年といわれている。延命や子孫繁栄などの御利益があるとされている。
以前は大きな欅(ケヤキ)の木に絡まり現在の甲州街道の方まで延びていたが、落雷により欅が枯れ倒木の恐れが出てきた。
そこで、昭和47年(1972年)4月、高さ約12メートルの電柱が二本と高さ約4メートル・面積約400平方メートルの鉄骨製の藤棚を造った。
現在では藤の木が電柱のてっぺんまで延び、そこから下って藤棚の一面に広がっている。また、藤の花の季節が終わった後、「神ノ矢幹」と呼ばれるオニノヤガラが芽を出す。
かつて境内に、根本から二股に分かれたイヌシデの老木があり、二股を跨ぐと子宝に恵まれるともいわれていた。
しかし、台風により倒木し、根元の保存も務められたが、朽ちて現存しない。この子宝の恵みの御神徳については、「千年乃藤」に合祀され、現在も受け継がれている。
境内社に二つの稲荷神社の石祠(ともに宇迦之御魂神)が並んで祀られている。一つはカサモリ稲荷(カサマ稲荷)、もう一つは八雲稲荷(荻窪稲荷)。
八雲稲荷は、北条氏の落ち武者、荻窪玄蕃守が当地に屋敷を構えた際にその鬼門除けとして祀ったと伝えられている。
境外社として、国領町7-54-1に鎮座する矢ヶ崎稲荷(宇迦之御魂神)がある。『新編武蔵国風土記稿』には、「村持鎮守」と記されている。
他の境外末社に、市内西つつじヶ丘の稲荷神社、府中市白糸台の諏訪神社、稲荷神社がある。
また兼務社に、市内西つつじヶ丘の厳島神社、入間町の糟嶺神社、若葉町の稲荷神社、三鷹市中原の中嶋神社、野崎の八幡社、大沢の古八幡社、府中市白糸台の神明社、八幡神社がある。
【ご利益】
厄災除け、開運招福、子宝、健康長寿(公式HP)

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・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
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國領神社(こくりょうじんじゃ、国領神社)は、東京都調布市国領町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
当社は、古く多摩川のほとり、杉森の地に鎮座していた第六天社と、神明社の二社が合併した神社である。双方とも、創建年代は不詳。
第六天社は、鎌倉時代、多摩川のほとりに鎮座し、薬師如来の守護神たる十二神将の中の第6番目に位する第六天神を祀り、薬師寺(現 常性寺)の管理下に置かれていた。
江戸時代前期の寛永17年(1640年)、常性寺が甲州街道筋に移るに際し、ともに国領町184(現 八雲台1丁目・八雲台小学校裏の都営住宅の地点)に遷座した。
明治の神仏分離によって、常性寺から分離され、明治4年(1871年)10月には村社に列し、明治8年(1875年)に國領神社に改称、御祭神を神産巣日神とした。
神明社も、かつては多摩川のほとりに鎮座し、八雲神明社、または鎮座地にちなんで杉森神明社とも呼ばれていた。
荻窪・小川・小林などの一族が、鎌倉よりこの地に移住して創建したと伝えられる。御祭神は当初、建速須佐之男命のみを祀った。
第六天社と同様、薬師寺の管理下に置かれていたが、寛永17年、同じく国領町182(現 国領町1丁目・現在地)に遷座した。
明治42年(1909年)11月17日、天照大御神の御神霊を迎え、合祀した。
旧國領神社の境内地近辺で都営住宅の建築計画が持ち上がり、やむなく同社の土地を移譲することになった。
このため、昭和38年(1963年)10月12日には神明社の土地に旧國領神社を迎え、新たな社殿を造営した上で両社を合祀し、現社号を定めた。
例祭は、4月12日が春季例大祭で、10月12日が秋季例大祭。御神幸祭は体育の日の前日の日曜日。宮神輿や、大大鼓と山車が出る。
御神木に「千年乃藤」がある。「ちょうふ八景」(調布八景)の一つ。藤の花は4月下旬から5月上旬に開花し、当社の境内が一面薄紫色に染まり、香りが広がる。
神明社が寛永17年に当地に遷座した際には既に存在しており、樹齢400-500年といわれている。延命や子孫繁栄などの御利益があるとされている。
以前は大きな欅(ケヤキ)の木に絡まり現在の甲州街道の方まで延びていたが、落雷により欅が枯れ倒木の恐れが出てきた。
そこで、昭和47年(1972年)4月、高さ約12メートルの電柱が二本と高さ約4メートル・面積約400平方メートルの鉄骨製の藤棚を造った。
現在では藤の木が電柱のてっぺんまで延び、そこから下って藤棚の一面に広がっている。また、藤の花の季節が終わった後、「神ノ矢幹」と呼ばれるオニノヤガラが芽を出す。
かつて境内に、根本から二股に分かれたイヌシデの老木があり、二股を跨ぐと子宝に恵まれるともいわれていた。
しかし、台風により倒木し、根元の保存も務められたが、朽ちて現存しない。この子宝の恵みの御神徳については、「千年乃藤」に合祀され、現在も受け継がれている。
境内社に二つの稲荷神社の石祠(ともに宇迦之御魂神)が並んで祀られている。一つはカサモリ稲荷(カサマ稲荷)、もう一つは八雲稲荷(荻窪稲荷)。
八雲稲荷は、北条氏の落ち武者、荻窪玄蕃守が当地に屋敷を構えた際にその鬼門除けとして祀ったと伝えられている。
境外社として、国領町7-54-1に鎮座する矢ヶ崎稲荷(宇迦之御魂神)がある。『新編武蔵国風土記稿』には、「村持鎮守」と記されている。
他の境外末社に、市内西つつじヶ丘の稲荷神社、府中市白糸台の諏訪神社、稲荷神社がある。
また兼務社に、市内西つつじヶ丘の厳島神社、入間町の糟嶺神社、若葉町の稲荷神社、三鷹市中原の中嶋神社、野崎の八幡社、大沢の古八幡社、府中市白糸台の神明社、八幡神社がある。
【ご利益】
厄災除け、開運招福、子宝、健康長寿(公式HP)

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