和泉の鎮守さま、鎌倉期の創建も古くから祭祀? 家光の松
[住所]東京都杉並区和泉3-21-29
[電話]03-3328-6830
和泉熊野神社(いずみくまのじんじゃ)は、東京都杉並区和泉にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
旧和泉村の鎮守で、現在も「和泉の鎮守さま」として、人々に親しまれている。御祭神は天御中主命・伊弉諾命・伊弉冉命。
社伝によれば、鎌倉時代の文永4年(1267年)、紀州熊野神社の御分霊を祀ったのが創建である。
ただし、当社の境内からは、縄文時代の土器・石斧・石棒、古墳時代の土師式土器なども出土している。
極めて古い時代から、人々がこの地で生活し、そこで祭祀が行われていたことが考えられ、創祀はもっとさかのぼる可能性がある。
創建約20年後の弘安7年(1284年)、社殿を修造し、その後、北条氏綱が上杉朝興と戦い江戸城を攻略した際にも、大いに社殿を修めたと伝えられる。
江戸時代には寛永16年(1639年)と元禄9年(1696年)の二度にわたって社殿の改修が行われた。
3代将軍徳川家光が鷹狩りの途中に休息し、その時に手植えしたと伝えられる松の大木が現在も境内にある。
『新編武蔵風土記稿』は、江戸時代の当社について「除地300坪、村の北の方にあり、屋2間四方、本社5尺四方、拝殿2間半に2間、社前に木の鳥居を立」とある。
別当寺は隣接する龍光寺だった。現在の社殿は幕末の文久3年(1863年)の造営で、明治4年(1871年)に修覆したもの。
明治7年(1874年)、村社に列した。
例祭は9月第2日曜日。神輿や子供御輿の練りがある。境内には露店が出て、神楽殿では催し物がある。
境内社に、北野神社(菅原道真公)・御嶽神社(日本武尊)・山神社(大山祇神)の合祀殿と、稲荷神社(豊受比売神)がある。
なお、境外末社に、和泉貴船神社がある。
【ご利益】
夫婦和合、家内安全、方除け、厄災除け
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・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
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和泉熊野神社(いずみくまのじんじゃ)は、東京都杉並区和泉にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
旧和泉村の鎮守で、現在も「和泉の鎮守さま」として、人々に親しまれている。御祭神は天御中主命・伊弉諾命・伊弉冉命。
社伝によれば、鎌倉時代の文永4年(1267年)、紀州熊野神社の御分霊を祀ったのが創建である。
ただし、当社の境内からは、縄文時代の土器・石斧・石棒、古墳時代の土師式土器なども出土している。
極めて古い時代から、人々がこの地で生活し、そこで祭祀が行われていたことが考えられ、創祀はもっとさかのぼる可能性がある。
創建約20年後の弘安7年(1284年)、社殿を修造し、その後、北条氏綱が上杉朝興と戦い江戸城を攻略した際にも、大いに社殿を修めたと伝えられる。
江戸時代には寛永16年(1639年)と元禄9年(1696年)の二度にわたって社殿の改修が行われた。
3代将軍徳川家光が鷹狩りの途中に休息し、その時に手植えしたと伝えられる松の大木が現在も境内にある。
『新編武蔵風土記稿』は、江戸時代の当社について「除地300坪、村の北の方にあり、屋2間四方、本社5尺四方、拝殿2間半に2間、社前に木の鳥居を立」とある。
別当寺は隣接する龍光寺だった。現在の社殿は幕末の文久3年(1863年)の造営で、明治4年(1871年)に修覆したもの。
明治7年(1874年)、村社に列した。
例祭は9月第2日曜日。神輿や子供御輿の練りがある。境内には露店が出て、神楽殿では催し物がある。
境内社に、北野神社(菅原道真公)・御嶽神社(日本武尊)・山神社(大山祇神)の合祀殿と、稲荷神社(豊受比売神)がある。
なお、境外末社に、和泉貴船神社がある。
【ご利益】
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