佐波山の中腹、山上に日本武尊の鏡塚、田村麻呂や頼義が祈願
佐波波地祇神社 茨城県北茨城市華川町上小津田1233
[住所]茨城県北茨城市華川町上小津田1233
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佐波波地祇神社(さわわちぎじんじゃ、佐波々地祇神社)は、茨城県北茨城市華川町上小津田にある神社。佐波神社・佐波大明神とも。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 多珂郡「佐波波地祇社/佐波波地祇神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。以下の伝承から、第12代景行天皇の時代より前と考えられる。

そこに大きな沢があったので、澤山(佐波山)といい、日本武尊が東征の折、佐波神を拝し、佐波山の妖蛇を斬り、塩原山山上に鏡を納めたという。鏡塚である。

当初は、現社地の北西4キロほどの佐波山の南嶺、淨蓮寺渓谷の奥の贄田(二田)、神楯に祀られていたという。

平安時代初期の延暦20年(801年)9月、坂上田村麻呂が佐波山に兵を休め、戦勝を祈願し、翌年報賽したという。

『日本三大実録』貞観元年(859年)に佐波波神が従五位下を授けられたとあり、一説には、貞観17年(876年)にある三枝祇神にも比定される。

永承5年(1050年)8月、源頼義が戦勝を祈願し、和歌を奉納した。

戦国時代の天文13年(1544年)、佐竹氏家臣である車斯忠の父で、常陸車城主の好間義秀が鎮守神としたという。

永禄12年(1569年)8月20日、塩原山山上へ遷座、さらにその後、塩原山中腹の現社地へ遷座した。

以前は、鳥居と同じく南を向いていたが、昭和45年(1970年)、本殿を下に移築して、拝殿の横に並べた際にやや南寄りの東向きになった。

現在の御祭神は天日方奇日方命。一説に、相殿に大己貴命事代主命を祀り、山上の鏡塚に猿田彦大神(相殿に天鈿女命饒速日命)と熊野大神を祀っているという。

明治7年(1874年)5月、郷社に列した。例祭は11月23日。

境内社に、熊野神社・八幡神社・鷺森神社・天満天神社・駒形神社・子安神社・塞神社・春日神社・大国神社・八坂神社がある。

式内社「佐波波地祇社」の他の論社に、大津町に当社と同名の神社がある。当社が旧地ともされ、やはり日本武尊の伝承が残る。

【ご利益】
武運長久・勝運、一族・子孫繁栄、家内安全
佐波波地祇神社 茨城県北茨城市華川町上小津田
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