神武朝の創立、源頼義の祈願と伝承、佐竹氏の本殿と崇敬
鴨大神御子神主玉神社 茨城県桜川市加茂部694
[住所]茨城県桜川市加茂部694
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鴨大神御子神主玉神社(かものおおかみのみこかみぬしたまじんじゃ)は、茨城県桜川市加茂部にある神社。現在は磯部稲村神社の兼務社で、御朱印も磯部稲村神社で頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 新治郡「鴨大神御子神主玉神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

社伝によれば、創立は初代神武天皇8年。御祭神は、主玉神。太田田根子・別雷神を配祀する。

古くは上中下の三社に分かれていたらしく、上社(当社)に別雷神、中社に皇子尊、下社に皇祖尊が祀られていたという。

扁額には「鴨大神御子神主神社」ともある。この「神主」は、神主の祖とされる太田田根子を強く連想させる。

高鴨神社か、山城の賀茂社かで変わってくるが、大和の鴨社の可能性が高いか。

大和の鴨社は、阿治須岐高日子根命。その父は大国主命。それと同体とされる大物主命の裔が、太田田根子。

ただ、社名には「玉」がついており、これは「神主」と切るのではなく、鴨大神御子神と主玉神の社という意味合いだともされる。

『日本三代実録』貞観3年(861年)9月23日、「主玉神」に従五位上を授けるとある。

この主玉神については、当社のことともされるが、他の候補に桜川市の大国玉神社と鉾田市の主石神社がある。

常陸国では、鹿島神宮吉田神社に次ぐ位置にある大社だったという。一宮と三宮に次ぐ、で、二宮である静神社が抜けているが。

寛平9年(898年)、臨時祭があり、以後数度の勅使参向があったという。勅使は下鴨神社から参向した、とも。

康平5年(1064年)、源頼義が安部貞任討伐の際に戦勝祈願した。康平6年(1065年)6月、神恩を感謝して、頼義が社殿を修営したという。

頼義に関しては、現在、当社の二の鳥居が木と木の間に注連縄を通す方式であることに関連する逸話が残されている。

「生鳥居(いきとりい)」と呼ばれるこの鳥居は、当社の山の奥に山姥が住んでいて、子供や村人に悪さをしていた。

頼義は当地で山姥を成敗し、首を切り、竹の枝に首を刺し、鳥居に掛けて見せしめにしたという。

村人たちは大神の鳥居が穢れたことと、怨念を恐れ、鳥居を取り壊し、現在のところに杉の木を植え、注連縄を掛けたという。

今も、氏子の家々では、竹には怨念があるとして竹を植えることを嫌い、竹を植えると家が潰れるという伝えがあり、現在でも竹を植えない習慣がある。

南北朝時代の文和3年(1354年)9月には、来迎院舜円などの尽力により、大般若経600巻がそろう。現存しており、現在は県の文化財に指定されている。

室町時代の応永21年(1415年)、宍戸城主である宍戸四郎義利が社殿を修営。

戦国時代の永禄12年(1563年)、佐竹義重が社殿を修営、これが現存の本殿で、市の有形文化財に指定されている。

義重以降、佐竹氏の崇敬を受け、今も佐竹氏の紋「日の丸五本骨扇」が社殿に見える。

明治6年(1873年)、村社に列し、明治12年(1879年)には郷社に昇格した。

例祭は11月。大晦日には御寝祭(お休み祭り)、1月には御目覚祭(お目覚め祭り)がある。

境内摂社に、鹿島神社・日枝神社があり、境内末社に八幡神社・金比羅神社・春日神社・大杉神社・天満大神・白山神社・稲荷神社などがある。

【ご利益】
開運招福、立身出世、病気平癒
鴨大神御子神主玉神社 茨城県桜川市加茂部
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