成長し続ける石を大山祇神として奉斎、社殿は桃山期の特徴
主石神社 茨城県鉾田市大和田1027
[住所]茨城県鉾田市大和田1027
[電話]0291-33-2111

主石神社(ぬしいしじんじゃ)は、茨城県鉾田市大和田にある神社。現在は宮ヶ崎鹿島神社の兼務社で、御朱印も宮ヶ崎鹿島神社で頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 茨城郡「主石神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

周辺は、古墳が点在し、当社も小さな丘に鎮座する。この丘は明神山などとも呼ばれ、やはり古墳の可能性がある。

社伝によれば、第29代欽明天皇(在位:540年-571年)の御宇、創祀された。村人が、成長する石を発見したという。

『略縁誌』によれば、その石は4-5尺あまりの大きさとなり、光を放ったという。そこへ、老翁が出現し、「吾は大山祇神」と名乗って消失した。

村人は、この石を神と崇め、石上に祠を建てて祀ったという。現在でもこの御神石の上に社殿が建てられ、石の成長は続いている、という。

御祭神は、由緒通り、大山祇神。第32代崇峻天皇(在位:588年-592年)の御代に、奉幣があったという。

『日本三代実録』貞観3年(861年)9月23日、主玉神に従五位上を授けるとある。

この主玉神については、当社のことともされるが、他の候補に桜川市の大国玉神社鴨大神御子神主玉神社がある。

嘉祥3年(1108年)6月、官社に列したという。『主石神社由来記』によれば、当社は伊予大三島の大山祇神社の末社だという。

旧別当寺は円満寺だった。安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、社殿が再建された。

現在の社殿がこの時のもの、という確証はないが、その時代の様相を各所に示しており、現在は市の文化財に指定されている。

化粧垂木は「反り増し」の技法で先端部を反らせ断面を大きくし、向拝柱の大面取りや、丸柱に製作の過程を残し、正面上部の彫り物も広く、浅い。

三間柱流れ造りに珍しく店棚造りにしている。横羽目板に縦挽き鋸の跡があり、柱の溝に入れる部を丸刃手斧で削るなど工具の歴史、伝播の状況を知る上でも貴重。

明治6年(1873年)4月、村社に列し、大正6年(1917年)には神饌幣帛料供進社に指定された。

例祭は11月21日。

【ご利益】
事業成功、商売繁盛、開運招福
主石神社 茨城県鉾田市大和田
【関連記事】
茨城県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、茨城県に鎮座している神社の一覧
主石神社 茨城県鉾田市大和田の御朱印