式内論社の説も、国史記載の式外社か、対馬の根本の神を奉斎
[住所]長崎県対馬市上県町瀬田1
[電話]-
國本神社(くにもとじんじゃ、国本神社)は、長崎県対馬市上県町瀬田にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 対馬国 上県郡「嶋大國魂御子神社/島大国魂神御子神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。『大小神社帳』には祭神六座と記されているが、現在の御祭神は、天之佐手依姫命。
「天之佐手依姫命」とは、伊弉諾尊・伊弉冉尊の国生みで生まれた津島(対馬)の別名である。
つまり、社名は対馬国の根本(国本)ということだろう。ただ、それだと式内社名には合致しない。
式内比定しているのは『大小神社帳』であり、そこに祭神六座とあったからには、式内社としてふさわしい御祭神だったのかもしれない。
ただ、『延喜式』神名帳よりも先行する『日本三代実録』には、国本神があり、これが当社に比定される。
無理に式内社とするよりは、当社はこの国本神であり、何らかの理由で『延喜式』神名帳には記載されなかった式外の国史見在社と考えた方が良いか。
『神社大帳』には、対馬の主祭代々の祖神であり国主の寄神とあって、やはり式内社名よりは、現在の御祭神や社名こそがふさわしい。
ちなみに、神階は貞観12年(870年)に従五位上が授けられ、寛平9年(897年)、永治元年(1141年)に叙位があったという。
『對州神社誌』には、熊野権現と記されている。中近世に熊野信仰が取り入れられるのはこの地域では非常に多い。
江戸時代前期の貞享3年(1686年)『対州神社誌』によれば、瀬田には熊野権現、三宝神、天台矢房があるという。当社はこの熊野権現か。
例祭は9月1日。なお、式内社「嶋大國魂御子神社」の論社は他に、上県町佐須奈の嶋大國魂御子神社、豊玉町曽の島御子神社がある。
【ご利益】
平穏安寧、地域安全、家内安全、無病息災
【関連記事】
・長崎県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、長崎県に鎮座している神社の一覧
[電話]-
國本神社(くにもとじんじゃ、国本神社)は、長崎県対馬市上県町瀬田にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 対馬国 上県郡「嶋大國魂御子神社/島大国魂神御子神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。『大小神社帳』には祭神六座と記されているが、現在の御祭神は、天之佐手依姫命。
「天之佐手依姫命」とは、伊弉諾尊・伊弉冉尊の国生みで生まれた津島(対馬)の別名である。
つまり、社名は対馬国の根本(国本)ということだろう。ただ、それだと式内社名には合致しない。
式内比定しているのは『大小神社帳』であり、そこに祭神六座とあったからには、式内社としてふさわしい御祭神だったのかもしれない。
ただ、『延喜式』神名帳よりも先行する『日本三代実録』には、国本神があり、これが当社に比定される。
無理に式内社とするよりは、当社はこの国本神であり、何らかの理由で『延喜式』神名帳には記載されなかった式外の国史見在社と考えた方が良いか。
『神社大帳』には、対馬の主祭代々の祖神であり国主の寄神とあって、やはり式内社名よりは、現在の御祭神や社名こそがふさわしい。
ちなみに、神階は貞観12年(870年)に従五位上が授けられ、寛平9年(897年)、永治元年(1141年)に叙位があったという。
『對州神社誌』には、熊野権現と記されている。中近世に熊野信仰が取り入れられるのはこの地域では非常に多い。
江戸時代前期の貞享3年(1686年)『対州神社誌』によれば、瀬田には熊野権現、三宝神、天台矢房があるという。当社はこの熊野権現か。
例祭は9月1日。なお、式内社「嶋大國魂御子神社」の論社は他に、上県町佐須奈の嶋大國魂御子神社、豊玉町曽の島御子神社がある。
【ご利益】
平穏安寧、地域安全、家内安全、無病息災
【関連記事】
・長崎県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、長崎県に鎮座している神社の一覧
コメント