新羅に渡って男子をもうけた雷大臣が上陸、朝日山古墳と懸仏
[住所]長崎県対馬市上対馬町大増1073
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霹靂神社(いかづちじんじゃ/へきれきじんじゃ)は、長崎県対馬市上対馬町大増にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 対馬国 上県郡「能理刀神社」に比定される式内社(小社)の論社。

創祀年代は不詳。神功皇后の時代、雷大臣(中臣烏賊津使主)・安曇磯武良(安曇磯良)を新羅に遣わした。

雷大臣はその地で女を娶り、男子をもうけた。その名を日本大臣という。新羅からの帰途、浜久須に上陸した、その古跡であるという。

境内全体が、東の海を向いており、海に面して、石の鳥居が建っている。

倉庫のような拝殿の裏に階段があり、上に本殿があり、本殿の裏に、朝日山古墳がある。市の史跡に指定されている。

この古墳では、昭和23年(1948年)に調査が行われ、漢武鏡一面・勾玉・鉄製剣・刀・斧・鎌・鋤・紡鐘車・釘・須恵器・土師器が出土した。

この古墳の須恵器は、日本の祝部土器の中で最も古い形式とされている。九州の祝部土器の形式を分類してその編年をつくる研究の動機となった。

また、金海式土器が学界で問題になったのもこの朝日山出土器が知られてからである。考古学上、この古墳を標準として中期古墳と後期古墳を類別している。

当社に関しては、由緒があまり伝わっていない。熊野三所権現とも称しており、昔、熊野権現が船に乗って渡って来たという。

これは、式内社「能理刀神社」の論社である西泊の能理刀神社とも共通している。ただし、当社では、そのために、多くの懸佛が奉納されたという。

参道の左側に祠があった。祠には鎌倉・室町時代の懸仏126面が奉納されており、この内87面は比較的原型をとどめているという。

対馬で多数の懸仏が1ヶ所に奉納されているのは他に例がなく、極めて貴重。古くは御正体鏡とよばれ、神社の本地仏を銅鏡などに、毛彫、浮彫を施して御霊代とした。

鎌倉後期から本地仏を銅に貼り付け、獅噛を装着して紐孔とした。

当社の御祭神は、雷大臣・日本大臣・磯武良とされるが、後年の熊野色から考えて、伊弉諾尊・事解男・速玉男とする見解もある。

例祭は11月1日。なお、豊玉町廻にも当社と同名の神社がある。

【ご利益】
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霹靂神社 長崎県対馬市上対馬町大増
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