卜占の聖地に後に熊野三所権現、元寇で御神石が敵船を撃破
能理刀神社 長崎県対馬市上対馬町大字西泊字横道218
[住所]長崎県対馬市上対馬町大字西泊字横道218
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能理刀神社(のりとじんじゃ)は、長崎県対馬市上対馬町西泊にある神社。西泊能理刀神社とも。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 対馬国 上県郡「能理刀神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。往古、老人夫婦が当社神を小舟に乗せて、当地の西北の浜辺に上陸、高台に社殿を建立したと伝わる。

ただし、この神は熊野三所権現神ともされるので、この説話は熊野色が強まった後世の創作とも考えられる。

ともかく、この高台が霊神山で、今では権現山と呼ばれている。

当地は神功皇后による三韓征伐の時の行宮の跡でもある。亀卜の神を祀った。御祭神は、宇麻志麻治命天児屋根命・雷大臣命。

亀卜と天児屋根命・雷大臣命は符合するが、これら中臣系と異色の、物部系の宇麻志麻治命は、呪術面という共通点はあるが、氏としての共通項は見い出せない。

ともかく、当社名の「能理刀」は、祝詞のことだろう。

式内社「能理刀神社」は、平安時代、神階が承和10年(843年)9月19日には従五位下、貞観12年(870年)には従五位下に叙された。

『對州神社誌』には、氏神熊野権現とあり、大権現とも、三柱を祀る三所権現とも称された。

もともとの卜占の聖地の上に、中世になり、熊野系の修験道が入り込んだ影響と考えられている。

鎌倉時代の文永11年(1274年)、元寇、蒙古軍襲来の際、霊神山の中腹より御神石の大石が三つ落ちてきて、異賊船を撃破したと伝わる。

明治7年(1874年)6月、村社に列し、大正3年(1914年)6月16日は神饌幣帛料供進社に指定された。

例祭は、夏祭が旧暦6月3日、秋祭が旧暦11月3日。

なお、式内社「能理刀神社」の論社は他に、大増の霹靂神社がある。

また、南に20数キロ、芦見には当社と同名の神社がある。芦見の神社は、式内社「胡簶御子神社」の論社とされ、式内社「能理刀神社」に比定する説はない。

ただし、芦見の神社も、神功皇后の行在所跡と伝え、卜占の聖地、また後に熊野権現と称されたなど、当社と共通する部分が多い。

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能理刀神社 長崎県対馬市上対馬町西泊
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