奈良期に皇女が海難で上陸後に薨去、門杉、10月神輿と石部太鼓
[住所]兵庫県加西市上野町71
[電話]0790-44-0046

石部神社(いしべじんじゃ/いそべじんじゃ)は、兵庫県加西市上野町にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 賀茂郡「石部神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

奈良時代初期の養老元年(717年)、元正天皇の皇女が勅を奉じて宮島の安芸厳島神社へ参詣、37夜の祈祷を終え、海路で帰還した。

その際、風波が強く遭難して播州室津に上陸。当地で静養したものの、薨去した。里人は三津山の山頂に埋葬し、その山腹に社を創建した。

皇女が薨去際、「我が守護神は伊知岐島姫命なり、これを迎えて当地の産土神と崇め祀れ」との遺言により、養老3年(719年)、宮島を勧請した。

皇女自身は市杵島姫命であり、主祭神格か。他に田心姫命湍津姫命を祀り、宮島同様、宗像三女神となる。

実際、当社の裏山は宮山と呼ばれ、山頂には円墳がある。皇塚古墳と呼ばれる。ただし、この円墳は奈良期をはるかに遡る、古墳時代前期のものとされている。

逆に言えば、その頃から祭祀が続けられてきた可能性があり、往古より神聖な場所だったのかもしれない。

以降の由緒は伝わらない。ただし、当社の門杉は樹齢1300年と伝わり、左右とも幹周4.8-4.9メートル、樹高29メートルという巨木。創建当時に植樹されたものと伝えられている。

江戸時代になり、慶安2年(1649年)、3代将軍徳川家光は社領朱印5石を寄進し、境内の山林・竹木の諸役を免除した。

また、鎮座地の在田郷は、播州赤穂浅野家の領地であったため、浅野家の厚い崇敬を受けた。

正保年間(1645年-1648年)、播磨赤穂藩初代藩主浅野長直が巡歴の際、当社と神護寺に対して、添挙状を書き、将軍家へ差し出したとされる。

現在、拝殿正面に揚出されている黒馬の額は、浅野家の献納と伝えられる。

明治7年(1874年)、郷社に列し、明治45年(1912年)3月、神饌幤帛料供進社に指定された。

昭和21年(1946年)10月、県知事から「県社列格が当然」とされたが、近代社格制度は終焉した。

例祭は10月9日・10日、現在は例年10月第2日曜日。神輿渡御がある。

御旅所では子供太鼓が奉納され、帰着後、石部太鼓が奉納される。3年に一度、竜王の舞が披露される。

【ご利益】
海上安全、水難除け、諸願成就
石部神社 兵庫県加西市上野町
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