元祖天神・少彦名命を奉斎する社に道真を合祀、天神を混同
[住所]兵庫県加西市繁昌町529
[電話]0790-49-0256
乎疑原神社(おぎはらじんじゃ)は、兵庫県加西市繁昌町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 賀茂郡「乎疑原神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。主祭神は少彦名命。少彦名命を奉ずる一氏族がこの地を開拓して定住し、奉斎したものと考えられている。
隣接して百代寺がある。当社の別当寺である。その僧である隆全のもとに、知己の菅原道真が左遷の折、訪れたという。
道真の左遷は、平安時代の昌泰4年(901年)のことである。
その後、天神信仰が広まるにつれ、当社でも道真が配祀され、天神宮と称されるようになった。総社天神宮とも。
もともと、少彦名命も天神と呼ばれることもあり、それが混同され、道真が主のような形になったとも。
また、荻原明神とも呼ばれた。江戸時代前期の元禄5年(1692年)、随願寺の天文13年(1544年)鋳造の鐘が奉納された。
もともとは現在の豊倉町に鎮座したというが、現在地に遷座した。
明治7年(1874年)、郷社に列し、明治13年(1880年)には弊殿が新築され、明治24年(1891年)には拝殿が建替えられた。明治35年(1902年)、八幡神社を合祀した。
現在までに、当社の御祭神は諸説あり、少彦名命・菅原道真は動かないとしても、大国主命、大物主神をも祀るとされる。
また、住吉大神や、素蓋雄命も、さらに宗像姫三柱大神・天照皇大神・稲倉魂命を相殿に祀るとも。ただし、先の明治期合祀の八幡神がここには含まれていない。
例祭は3月25日で、天神祭りとも。法被を着た地元の子どもたちが、花などで飾ったみこしを担いで境内を練り歩き、特設会場では能や民謡も披露される。
室町時代の作とされる石鳥居が現存する。市の文化財に指定されている。
【ご利益】
学業・受験合格、病気平癒、事業成功
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乎疑原神社(おぎはらじんじゃ)は、兵庫県加西市繁昌町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 賀茂郡「乎疑原神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。主祭神は少彦名命。少彦名命を奉ずる一氏族がこの地を開拓して定住し、奉斎したものと考えられている。
隣接して百代寺がある。当社の別当寺である。その僧である隆全のもとに、知己の菅原道真が左遷の折、訪れたという。
道真の左遷は、平安時代の昌泰4年(901年)のことである。
その後、天神信仰が広まるにつれ、当社でも道真が配祀され、天神宮と称されるようになった。総社天神宮とも。
もともと、少彦名命も天神と呼ばれることもあり、それが混同され、道真が主のような形になったとも。
また、荻原明神とも呼ばれた。江戸時代前期の元禄5年(1692年)、随願寺の天文13年(1544年)鋳造の鐘が奉納された。
もともとは現在の豊倉町に鎮座したというが、現在地に遷座した。
明治7年(1874年)、郷社に列し、明治13年(1880年)には弊殿が新築され、明治24年(1891年)には拝殿が建替えられた。明治35年(1902年)、八幡神社を合祀した。
現在までに、当社の御祭神は諸説あり、少彦名命・菅原道真は動かないとしても、大国主命、大物主神をも祀るとされる。
また、住吉大神や、素蓋雄命も、さらに宗像姫三柱大神・天照皇大神・稲倉魂命を相殿に祀るとも。ただし、先の明治期合祀の八幡神がここには含まれていない。
例祭は3月25日で、天神祭りとも。法被を着た地元の子どもたちが、花などで飾ったみこしを担いで境内を練り歩き、特設会場では能や民謡も披露される。
室町時代の作とされる石鳥居が現存する。市の文化財に指定されている。
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