崇神朝から平安期の創祀諸説、悲恋「なんじゃもんじゃの木」
[住所]兵庫県豊岡市但東町佐々木482
[電話]0796-52-3837 - 伊福部神社
佐々伎神社(ささきじんじゃ)は、兵庫県豊岡市但東町佐々木にある神社。佐々木神社とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「佐佐伎神社(但馬国・出石郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
第10代崇神天皇11年、道主命と比奈良岐が相談し、大己貴命と少彦名命を祀る社を創建したのが始まり。
一説には、奈良時代の天平19年3月、出石小領に任じられた佐々貴山君が、祖である大彦命を佐々貴山に祀ったのが創祀とも。
また、平安時代、桓武天皇の延暦3年6月、出石大領に任じられた佐々貴山君波佐麻が、その祖である佐々貴山命を射坂之丘に祀ったともされる。
さらに、但馬国開拓の祖である少彦名神を祀り、大彦命の裔である高橋臣と、同族の佐々木山公の居住地であったため、祖神大彦命を合祀し、二宮明神と称したともいう。
二宮明神について、異説として、雀岐大明神(雀岐社)と呼ばれた当社と、須流大明神を一社にまとめたためともされる。
式内社に「須流神社」がある。現在は町内赤花に鎮座する同名神社に比定されるが、当社と合併した須流大明神も式内の可能性があるかもしれない。
江戸時代前期の貞享2年(1685年)、造営の記録が残る。江戸時代中期の宝暦2年(1752年)、「ささばやし」の神事が再興されたという。
江戸時代後期の嘉永4年(1851年)6月22日、社殿が炎上したが、文久2年(1862年)2月に再建された。
明治6年(1873年)10月、村社に列し、大正4年(1915年)9月30日、神饌幣帛料供進社に指定された。
大正12年(1923年)6月には郷社に、昭和4年(1929年)8月23日には県社に昇格した。例祭は10月10日。
境内社に、八幡神社・稲荷神社・三柱神社がある。他に「なんじゃもんじゃの木」という異名も持つ、鹿の子木を御神木としている。
この木にまつわる、心谷悲恋物語が伝わる。平安期の話だろうか、一人の公家が当社秋祭りに参拝する勅使として当地に来た。
この御神木を撫でると、恋人がすぐにできると聞かされ、撫でてみると、秋祭りに巫女として上がった村の娘に一目惚れした。
公家はそのまま巫女の娘と結婚、当地に暮らし、幸せになったという。しかし、公家には、都で恋心を打ち明けられた娘がいた。
都を出る前、公家は、もう二度と返ってこないのではないかと心配する娘に、絶対に帰ってくると約束していた。
都の娘は、公家が勅使として出立後、やはり心配になり、後を追いかけた。あと峠一つで当地に至る、現在の但東町佐田まで来て、そこで公家を待つことにした。
しかし、公家はすでに結婚して、幸せな生活を送っているため、当然のことながら、待っても待っても公家の姿は見えず。
そのうち、公家のその後の話が娘にも伝わり、大いに嘆き悲しんだという。この峠が、「恋心の谷」となり、心谷となったとされる。
現在、この御神木は、撫でると愛が芽生える、幸運が舞い込むとされて信仰されている。当社には、なんじゃもんじゃの大木が14本あるという。
【ご利益】
良縁・縁結び、諸願成就、一族・子孫繁栄

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[電話]0796-52-3837 - 伊福部神社
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『延喜式神名帳』にある「佐佐伎神社(但馬国・出石郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
第10代崇神天皇11年、道主命と比奈良岐が相談し、大己貴命と少彦名命を祀る社を創建したのが始まり。
一説には、奈良時代の天平19年3月、出石小領に任じられた佐々貴山君が、祖である大彦命を佐々貴山に祀ったのが創祀とも。
また、平安時代、桓武天皇の延暦3年6月、出石大領に任じられた佐々貴山君波佐麻が、その祖である佐々貴山命を射坂之丘に祀ったともされる。
さらに、但馬国開拓の祖である少彦名神を祀り、大彦命の裔である高橋臣と、同族の佐々木山公の居住地であったため、祖神大彦命を合祀し、二宮明神と称したともいう。
二宮明神について、異説として、雀岐大明神(雀岐社)と呼ばれた当社と、須流大明神を一社にまとめたためともされる。
式内社に「須流神社」がある。現在は町内赤花に鎮座する同名神社に比定されるが、当社と合併した須流大明神も式内の可能性があるかもしれない。
江戸時代前期の貞享2年(1685年)、造営の記録が残る。江戸時代中期の宝暦2年(1752年)、「ささばやし」の神事が再興されたという。
江戸時代後期の嘉永4年(1851年)6月22日、社殿が炎上したが、文久2年(1862年)2月に再建された。
明治6年(1873年)10月、村社に列し、大正4年(1915年)9月30日、神饌幣帛料供進社に指定された。
大正12年(1923年)6月には郷社に、昭和4年(1929年)8月23日には県社に昇格した。例祭は10月10日。
境内社に、八幡神社・稲荷神社・三柱神社がある。他に「なんじゃもんじゃの木」という異名も持つ、鹿の子木を御神木としている。
この木にまつわる、心谷悲恋物語が伝わる。平安期の話だろうか、一人の公家が当社秋祭りに参拝する勅使として当地に来た。
この御神木を撫でると、恋人がすぐにできると聞かされ、撫でてみると、秋祭りに巫女として上がった村の娘に一目惚れした。
公家はそのまま巫女の娘と結婚、当地に暮らし、幸せになったという。しかし、公家には、都で恋心を打ち明けられた娘がいた。
都を出る前、公家は、もう二度と返ってこないのではないかと心配する娘に、絶対に帰ってくると約束していた。
都の娘は、公家が勅使として出立後、やはり心配になり、後を追いかけた。あと峠一つで当地に至る、現在の但東町佐田まで来て、そこで公家を待つことにした。
しかし、公家はすでに結婚して、幸せな生活を送っているため、当然のことながら、待っても待っても公家の姿は見えず。
そのうち、公家のその後の話が娘にも伝わり、大いに嘆き悲しんだという。この峠が、「恋心の谷」となり、心谷となったとされる。
現在、この御神木は、撫でると愛が芽生える、幸運が舞い込むとされて信仰されている。当社には、なんじゃもんじゃの大木が14本あるという。
【ご利益】
良縁・縁結び、諸願成就、一族・子孫繁栄

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