『播磨国風土記』女神の子の父だと判明したタタラの神
天目一神社 兵庫県西脇市大木町新田648
[住所]兵庫県西脇市大木町648
[電話]0795-32-1323 - 安田稲荷神社

天目一神社(あめのまひとつじんじゃ/てんもくいちじんじゃ)は、兵庫県西脇市大木町にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 多可郡「天目一神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。いわゆる日野と呼ばれる地区に鎮座し、加古川の支流杉原川が作った沖積平野と段丘状に拓けた地域。

縄文時代後期の土器が発見され、弥生時代の集落跡なども見つかっており、古くから人々の生活があった。

御祭神は天目一命で、天久斯比止命とも呼ばれる。いわゆる天目一箇神。天津彦根命の子とされ、『古事記』に登場する天津麻羅と同神とされる。

天目一命は、奈良時代の『播磨国風土記』託賀郡の条にも登場し、多珂地方の当地が古代から鍛冶に関する高度な技術を持っていたことも考えられている。

『播磨国風土記』では、土地の女神である道主日女命(みちぬしひめのみこと)が、父の分からない子を産んだため、子に盟酒(うけいざけ)を注ぐ相手を諸神から選ばせた。

その子が天目一命に注いだことから、天目一命が子の父であると分かったという。

農耕民とタタラ集団の融合を表しているという説もあるというが、父が分からない子というのはよく分からない。地元女神の諸神との乱交を思わせる。古代における性の奔放さの表れか。

中世以降、衰微し、安土桃山時代の天正8年(1580年)、別所氏の兵火に遭い、記録類を失った。式内社としての由緒も焼失、所在不明となった。

明治維新になり、式内比定が盛んになって、所在不明となった「天目一神社」の位置が大木町に推定された。

そこで当時は惣堂天王社があった当地が式内旧地とされ、復興が図られた。明治30年(1897年)4月、村社に列した。

社殿は、地元を初め、播州や泉州の金物業者の援助を得て、大正8年(1919年)に着工、大正12年(1923年)に竣工した。

神明造りの本殿に合わせて、鳥居も神明鳥居が建立された。

鎮守で、春日神社とともに日野という地名の命名のきっかけともなった平野神社(大雀命日本武尊天穂日命)も、平野山東山麓から移して合祀した。

この復興以来、近在の鍛冶職人、金属加工職人たちの信仰を集めた。例祭は10月9日。

旧暦11月8日、現在は12月第1日曜日に行われる「ふいご祭り」には、播磨をはじめ遠く丹波、但馬、美作、和泉からも参詣者があった。

戦後は金属工業などの機械化により、参詣者は減ったが、現在でも熱心な信者と地元大木町の努力によって、盛大にふいご祭が行われている。

なお、式内社「天目一神社」の論社は他に、多可郡多可町の中区糀屋の稲荷神社、加美区鳥羽の青玉神社がある。

【ご利益】
金属工業、産業振興、事業成功
天目一神社 兵庫県西脇市大木町新田
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