『播磨国風土記』揖保郡、夫婦神が川の水を奪い合った故事
祝田神社 兵庫県たつの市揖西町清水302
[住所]兵庫県たつの市揖西町清水302
[電話]0791-66-0402 - 井関三神社

祝田神社(はふりたじんじゃ/はふたじんじゃ)は、兵庫県たつの市揖西町清水にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 揖保郡「祝田神社」に比定される式内社(小社)の論社。

創祀年代は不詳。『播磨国風土記』揖保郡に、出水の里・美奈志川の項に出てくる夫婦神を祀る。

つまり、伊和大神の御子である、石龍比古命(いわたつひこのみこと)と妻で妹の石龍比売命(いわたつひめのみこと)である。

この夫婦神が、川の水を互いに争って、石龍比古命は北方の越部の村に流したいと思い、石龍比売命は南方の泉、出水の村に流したいと思った。

その時、石龍比古命は山の頂を踏みつけて、越部の村の方に流した。

石龍比売命はこれを見て、無茶なことだと思い、ただちに挿櫛をもってその流れる水を堰きとめて、頂上のあたりから溝を切り開いて、泉の村に流した。

そこで石龍比古命は出水村の川下に来て、川の流れを奪い、西の方の桑原の村に流そうとした。

ここにおいて、石龍比売命はついに許さず、密樋を作って泉村の田の頭に流し出した。これによって川の水は絶えて流れなくなり、无水川(みなしかわ)、つまり美奈志川と呼ぶようになった。

当社は、この泉村の田の頭(ほとり)のこと。伊和大神、つまり大国主命であるが、記紀にはこの夫婦神に該当する神名は見えない。

当社の一部資料に、玉帯志比古大稲男神・玉帯志比女豊稲女神による話、とあるものもあるが、これは『播磨国風土記』美嚢郡のこと。

美嚢郡にも祝田の社があり、その後継社が大宮八幡宮とされている。

中世には社殿が荒廃し、当初の景観は残らなかったが、古来、ホタノ森の社として、崇敬された。

ホタノ森はつまり、ホタ・ホウタで、ホウタは祝田・ハフリタの転訛だとされる。

現在までに、稲倉魂神を併せて祀る。昭和10年(1935年)、境内拡張と社殿改築、玉垣新設が行われた。例祭は9月2日。

朱色の大きな鳥居があり、社頭にはもう少し小規模な朱色の鳥居が稲荷社のように林立している。境内社に王子八幡宮(誉田別大神)がある。

なお、式内社「祝田神社」の論社は他に、姫路市の当社および式内同名神社、揖保郡太子町の稗田神社がある。

姫路市の同名神社と区別するため、鎮座地から、当社は清水社、姫路市のものは林田社などとも呼ばれる。

【ご利益】
五穀豊穣、家内安全、厄災除け
祝田神社 兵庫県たつの市揖西町清水
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