平安直前に大和を勧請、黒田官兵衛の寄進で建立した拝殿
[住所]兵庫県西脇市黒田庄町岡372-2
[電話]0795-28-2284

兵主神社(ひょうずじんじゃ)は、兵庫県西脇市黒田庄町岡にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 多可郡「兵主神社」に比定される式内社(小社)。兵主神社の一つ。近代社格では県社

大志郷の氏神で、市内に数ある黒田官兵衛ゆかりの場所の一つ。以前までは兵主五社大明神とも称された。

社伝によれば、平安時代草創期の延暦元年(782年)、大和国から播磨国の国衙に赴任した藤原氏に連なる岡本修理大夫により、森林を開拓して社殿が築かれた。

2年後の延暦3年(784年)、大和穴師の兵主神5柱を勧請したという。

『大国主命分身類社鈔』によれば、「左座 八千戈命 亦曰大国主命 神体広矛 兵主伊豆戈神是也」とある。

御祭神は、大己貴命・八千戈命・葦原醜男・大物主命・神清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠命。

前3柱は、大国主命の別名であり、第4柱も大国主命と同体とされる。最後の神は、須佐之男神櫛名田比売の御子神である八島士奴美神で、大国主命の祖となる。

どちらにしろ、藤原氏とのつながりは見られない。兵主神が天日槍命を指すという説もあり、藤原氏は天日槍命とつながる、という意図だともされる。

拝殿は全国的にも珍しい、安土桃山時代の建築様式の茅葺入母屋造の長床式で、棟札によれば天正19年(1591年)に改築されたという。県指定重要文化財。

戦国時代、羽柴秀吉の三木城攻めの際に、臣下の黒田官兵衛(黒田孝高)が戦勝祈願のため灯明田を献納し、拝殿はその際の奉納金によって改築されたと伝えられる。

江戸時代になり、その中期の正徳4年(1714年)、本殿が再建された。拝殿ばかり注目されるが、現存本殿がこの際のものだとすれば、これもまた古い。

旧別当寺の明鏡山神通寺は明治初年に廃寺となったが、現在の社務所の位置に社坊があったという。

明治7年(1874年)2月、郷社に列し、大正3年(1914年)4月6日、神餞幣帛料供進社に指定された。大正8年(1919年)12月27日には県社に昇格した。

昭和58年(1983年)3月には勧請千二百年祭が執行された。現在は、岡・喜多・大門・津万井・福地・大伏・蒲江を氏子地域とする。

例祭は10月第2日曜日で、秋祭り。5台の布団屋台が練り出される他、大名行列を模した「レッケイ」などの伝統行事が披露され、華やかに行われる。

【ご利益】
武運長久・勝運、厄災除け、地域安全
兵主神社 兵庫県西脇市黒田庄町岡
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