『播磨国風土記』の故事由来、室町後期本殿が重文、百人一首絵馬
[住所]兵庫県宍粟市一宮町森添280
[電話]0790-74-0013

御形神社(みかたじんじゃ)は、兵庫県宍粟市一宮町森添にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 宍粟郡「御形神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

創祀年代は不詳。『播磨国風土記』宍禾郡に記載される、御方(御形)の郷の地名の由来に基づく創始と考えられている。

天日槍命と葦原志許乎命(大国主神)が、黒土の志爾嵩に至り、それぞれ黒葛を三条(みかた)投げてその領地を決定した。

天日槍命の投げた三条は、すべて伊都志(出石)に落ちた。葦原志許乎命の投げた黒葛は、一条が但馬の気多の郡に、一条は夜夫の郡に、最後の一条が御方に落ちた。

そこで当地は三条と呼ばれ、御方・御形とも呼ばれるようになった。

天日槍命の投げた黒葛が落ちた出石には、天日槍命を祀る出石神社があり、葦原志許乎命が投げた黒葛が落ちた気多郡に気多神社が、養父郡に養父神社が存在する。

また、『播磨国風土記』には伊和大神が形見として、自分の杖を植えたので、御形とするという記述もある。

現在までに、中殿に葦原志許男神を祀り、左殿に高皇産霊神素戔嗚命を、右殿に月夜見神・天日槍神を祀る。

当初、南東にある高峰山山頂に鎮座していた。

奈良時代の宝亀3年(772年)、御方里の山神社鎮座の小森に一夜にして三本の大杉が鼎立する夢のお告げによって、社殿を造営し、現社地に遷座した。

このスギは、本殿裏の注連縄の掛った大杉であるとされ、推定樹齢は600年。二代目か。

本殿は三間社流造、檜皮葺、大永7年(1527年)の建立で、国の重要文化財に指定されている。市内で唯一の指定。

昭和46年(1971年)からは解体復元工事が施工され、室町時代後期の見事な彫刻や繊細な組物が蘇った。

明治19年(1886年)に県社に列して以降は、単に「県社」とも呼ばれた。これは、旧社格が消滅した今でも、当社の通称となっている。

明治36年(1903年)までは高見大明神とも称され、また、高皇産靈神を祀ることから「タカミさん」とも呼ばれ、三方東一宮とも称された。

例祭は10月10日で秋祭。大福引と小・中学生の相撲大会が行われる。5月3日が春祭りで、3基の神輿による渡御が行われ、子供みこしも加わり、総勢200人ほどの行列になる。

3月上旬、第1日曜日が開当祭で、当人宅に1年間御分霊を祀ったものを古式よりさまざまの神饌を整える。この開当祭で次の当人が選ばれる。

当社には秘伝とされる病気平癒の蟇目の祈祷が伝わる。大病・難病に効果が著しいとして、今も氏子を中心に 波賀・千種などに広く知られているという。

他に、百人一首図絵絵馬があり、全部で17面。100人の歌仙全部が描かれた類例は全国でも少なく、県下では唯一のもの。弘化3年(1864年)奉納。

出雲大社宮司の千家尊祀の筆になる「御形大神降臨處」という沖田の碑がある。

坂下の南の小さな丘に御祭神が飛び降りたところ、たまたまそこに生えていた柚子の木で目を傷めた。そのため、この里では柚子が実らなくなったと伝えられる。

【ご利益】
病気平癒、五穀豊穣、産業育成、祈雨・天候(公式HP
御形神社 兵庫県宍粟市一宮町森添
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御形神社 兵庫県宍粟市一宮町森添の御朱印