『播磨国風土記』ゆかり、池田輝政と一族の崇敬、宮本武蔵が参籠
[住所]兵庫県佐用郡佐用町本位田284
[電話]0790-82-2022
佐用都比売神社(さよつひめじんじゃ)は、兵庫県佐用郡佐用町本位田にある神社。通称は、佐用姫さん。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 佐用郡「佐用都比賣神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
創祀年代は不詳。『播磨国風土記』讃容郡の項に出てくる神話の舞台であり、播磨の祖神として、その神を祀る。
出雲から来た伊和大神、つまり大国主命と、妹神で、后神とされる玉津日女命が当地の領有を競った。
その際、妹神が生きた鹿の腹をさいて、その血に稲を蒔いて一夜で苗が出たという。大国主命は「汝、妹は五月夜(さよ)に植えつるかも」と言って去っていった。
よって、五月夜(さよ)の郡、讃容郡と名付けられ、この妹神を賛用都比売命と名付けた。ずいぶん血なまぐさい女神で、それにひいてしまった夫、という構図か。
現在までに、主祭神は市杵嶋姫命(狭依毘売命)、素盞嗚尊・大国主命・誉田別命・天児屋根命を配祀する。
平安時代、『続日本後紀』仁明天皇の嘉祥2年(850年)の条に「播磨国佐用郡佐用津姫神社預官社」とある。
鎌倉時代から南北朝時代にかけての武将である赤松円心や、その兄の孫で、利神城主の別所五郎左衛門敦範が崇敬した。
山中鹿之助(山中幸盛。1545年-1578年)が当地に来た時、尼子家再興を祈念して各燈篭を奉建したと伝わる。
安土桃山時代の天正5年(1577年)、羽柴秀吉が中国征伐の際、上月城を攻め、火を当社に放ち、焼失。
池田輝政が姫路に居城すると、その崇敬を受け、その一族の利神城主である池田由之などが慶長年間(1596年-1615年)に再建。
宮本武蔵が諸国修行に出かける時、当社に本刀二振りを捧げ、17日間参籠してその武運を祈願して出立したと伝わる。
江戸時代前期の万治3年(1658年)、松平石見守が拝殿を再築、元禄14年9月(1686年)、領主松平久之助が金子100両・米15石を献じ、現在の社殿を再建した。
他に、江戸時代中期の宝永2年(1705年)、享保5年(1720年)に造営の記録が残る。
明治7年(1874年)、郷社に列し、明治40年からの2年間で、荒神社3社・八幡神社2社・大己貴神社・妙見神社などを合祀、大正13年(1924年)には県社に昇格した。
例祭は10月30日で、秋季例大祭。境内社に、塩川神社(汐川神社)・稲荷神社・若宮神社・天満神社・三寶荒神社・方宮神社(伯母宮神社)がある。
【ご利益】
病気平癒、交通安全、安産、厄災除け

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佐用都比売神社(さよつひめじんじゃ)は、兵庫県佐用郡佐用町本位田にある神社。通称は、佐用姫さん。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 佐用郡「佐用都比賣神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
創祀年代は不詳。『播磨国風土記』讃容郡の項に出てくる神話の舞台であり、播磨の祖神として、その神を祀る。
出雲から来た伊和大神、つまり大国主命と、妹神で、后神とされる玉津日女命が当地の領有を競った。
その際、妹神が生きた鹿の腹をさいて、その血に稲を蒔いて一夜で苗が出たという。大国主命は「汝、妹は五月夜(さよ)に植えつるかも」と言って去っていった。
よって、五月夜(さよ)の郡、讃容郡と名付けられ、この妹神を賛用都比売命と名付けた。ずいぶん血なまぐさい女神で、それにひいてしまった夫、という構図か。
現在までに、主祭神は市杵嶋姫命(狭依毘売命)、素盞嗚尊・大国主命・誉田別命・天児屋根命を配祀する。
平安時代、『続日本後紀』仁明天皇の嘉祥2年(850年)の条に「播磨国佐用郡佐用津姫神社預官社」とある。
鎌倉時代から南北朝時代にかけての武将である赤松円心や、その兄の孫で、利神城主の別所五郎左衛門敦範が崇敬した。
山中鹿之助(山中幸盛。1545年-1578年)が当地に来た時、尼子家再興を祈念して各燈篭を奉建したと伝わる。
安土桃山時代の天正5年(1577年)、羽柴秀吉が中国征伐の際、上月城を攻め、火を当社に放ち、焼失。
池田輝政が姫路に居城すると、その崇敬を受け、その一族の利神城主である池田由之などが慶長年間(1596年-1615年)に再建。
宮本武蔵が諸国修行に出かける時、当社に本刀二振りを捧げ、17日間参籠してその武運を祈願して出立したと伝わる。
江戸時代前期の万治3年(1658年)、松平石見守が拝殿を再築、元禄14年9月(1686年)、領主松平久之助が金子100両・米15石を献じ、現在の社殿を再建した。
他に、江戸時代中期の宝永2年(1705年)、享保5年(1720年)に造営の記録が残る。
明治7年(1874年)、郷社に列し、明治40年からの2年間で、荒神社3社・八幡神社2社・大己貴神社・妙見神社などを合祀、大正13年(1924年)には県社に昇格した。
例祭は10月30日で、秋季例大祭。境内社に、塩川神社(汐川神社)・稲荷神社・若宮神社・天満神社・三寶荒神社・方宮神社(伯母宮神社)がある。
【ご利益】
病気平癒、交通安全、安産、厄災除け

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